20世紀の高校野球

旧:‡Azure‡のbaseball日記です。ブログの趣旨が変わってきたため、名前を変更して再出発することにしました。70年代〜90年代を中心に、野球選手・名勝負等を紹介していきます。オールドファンの方に満足して頂けるようなブログを目指して頑張りますので、応援よろしくお願い致します。

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球児を襲った「甲子園の嵐」、雨に笑い、雨に泣いたチーム(後編)

春夏合わせて降雨コールド、降雨ノーゲームとなったのは20試合近くにも上り、雨に笑い、雨に泣いたチームも数多く存在する。今回は雨にまつわる試合の中から7試合を選んでみた。降雨コールド(前編)、降雨ノーゲーム(前編)、降雨引き分け(後編)、泥試合(後編)の4部に分けて紹介しよう。

☆降雨引き分け☆

1989年春、初戦の近大付と宇都宮工戦では泥田と化したグラウンドで、両チーム一歩も譲らない死闘が繰り広げられた。2回表、宇都宮工は庭野の右前打などで1点を先制。4回裏、近大付は犬伏稔昌(のち西武)の中前打を皮切りに、4長短打とスクイズで一挙4得点を挙げたが、宇都宮工も負けてはいない。5回表、1死1、2塁で仁平馨(のち広島→中日)が右前打を放つと、続く森が左翼に3点本塁打を放ち、4点を追加。その裏、近大付は犬伏、宮元の連続安打で5-5の同点に追い付き、試合は壮絶なシーソーゲームとなった。7回表、宇都宮工は庭野の中前打、仁平の中前打などで3点を追加したが、近大付も粘る。7回、8回に2点ずつ加え、再び逆転に成功したが、9回表に宇都宮工は1死から仁平がソロ本塁打。9-9の同点に追い付き、試合は延長戦に突入した。10回表、宇都宮工は大岡の右越え3塁打などで1点を追加。その裏、近大付は宮元の左前打などで10-10の同点に追い付いたが、雨は一段と激しさを増し、審判団の判断で降雨引き分け再試合となった。両チーム合わせて30安打。再試合は日高と滑川戦以来、33年ぶりのことだった。翌日の再試合では先手を取ったのは近大付だった。3回裏、松井の右前打、倉の中前打で1点を先制。6回に脇坂浩二(のちダイエー)の遊安打などで1点を追加すると、8回には5長短打で4点を追加した。9回表、宇都宮工は1死満塁で仁平が2塁打を放ち、3点を返したが、反撃も及ばず、7-3で近大付が2回戦進出を決めた。

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(画像)8回裏、近大付は2死1、2塁で犬伏が中越え3塁打を放ち、再び逆転に成功。両チーム合わせて30安打の乱打戦となった。

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(画像)8回裏、5長短打で4点を追加した近大付。投げてはエース・里田太一(のち大阪ガス)が計393球を投げ抜き、7-3で2回戦進出を決めた。


(動画)YouTubeより。

☆泥試合☆

上記の試合から4日後、西条と県岐阜商戦でも泥田と化したグラウンドで、両チーム一歩も譲らない死闘が繰り広げられた。2回表、県岐阜商は服部が左翼ラッキーゾーンにソロ本塁打を放つと、エース・林和彦(のち朝日大→岐阜信金)が右越え3塁打を放ち、3点を先制。その裏、西条は宮竹が右前打で出塁すると、井上が右越え2塁打を放ち、1点を返した。4回表、県岐阜商は桑原の左越え3塁打、暴投で1点を追加したが、西条も粘る。4回裏、曽我部正和(のち近畿大)がソロ本塁打を放つと、5回には日野、沖原佳典(のち亜細亜大→NTT関東→NTT東日本→阪神→楽天)の連続安打で1点を追加。7回にも相手の失策で1点を追加した。8回表、県岐阜商は服部の左越え2塁打、スクイズで2点を追加したが、雨は一段と激しさを増し、気の毒な状態の中で試合は進んだ。9回裏、西条は沖原が死球で出塁。続く高砂は3ゴロだったが、大きく水しぶきを上げた打球は3塁手の前で急に止まり、幸運にも内野安打となった。1死後、宮竹の中前打で1点差にまで詰め寄ると、曽我部が左前打を放ち、7x-6で西条が2回戦進出を決めた。ちなみに、この日は甲子園のある神戸南地方では朝から強風波浪注意報が出ていたが、日程に余裕がなかったため、試合は強行。小松博高野連副会長は「開場した時は、それほど降っていなかったし、決行を決めた。打ち切りは考えなかった。両チームには気の毒だったが、コンディションはイコールだ」と説明した。

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(画像)9回裏、県岐阜商の捕手・三橋が2塁へ牽制したが、小川がタッチしようとして落球。気の毒な状態の中で試合は進んだ。

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(画像)9回裏、西条は1死2、3塁で曽我部が左前打を放ち、高砂、宮竹が続いて生還。7x-6で2回戦進出を決めた。


(動画)YouTubeより。

1979年春、準々決勝の東洋大姫路と池田戦ではグラウンドが泥田と化しており、打球が転がるたび、選手が走るたびに水しぶきが上がった。2回表、池田は永井が左翼スタンドに2点本塁打を放ったが、雨は一段と激しさを増した。4回裏、東洋大姫路は谷口のスクイズ、前田の左前打で2-2の同点に追い付くと、5回にはエース・萩原健吾(のち関西大→大阪ガス)の2塁打などで1点を追加。6回にも相手の失策、3連続安打で一挙4得点を挙げた。試合はワンサイドになるかと思われたが、9回に池田が底力を見せる。山本、河野、永井の3安打で1死満塁のチャンスを作ると、岡田康の押し出し四球、エース・橋川正人(のち同志社大→四国銀行)の2塁打で2点を追加。さらに、川原公の犠飛で1点差にまで詰め寄ったが、反撃も及ばず、8-7で東洋大姫路が準決勝進出を決めた。ちなみに、敗戦投手となった橋川は同年夏にも甲子園出場。決勝で箕島に3-4で敗退したが、見事準優勝投手に輝いた。

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(画像)悪条件を生かす機動力を発揮した東洋大姫路。6回には重盗を決めるなど、小技の野球を見せた。

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(画像)9回表、滑り込みで泥だらけになった顔を拭いてもらう山下。こんな場面も見受けられた。

▼試合詳細


▼前編


☆総訪問者数4万人突破☆
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開設から約1年2ヶ月で総訪問者数が4万人を突破しました。1月に3万人を突破しましたので、そこから計算すると約1ヶ月で1万人の方が訪問してくださったということになります。これからも運営頑張りますので、応援よろしくお願い致します。目標は旧旧ブログの12万人を突破することです。管理人の想像ですが、4万人のうちの6割が50代以上の方ではないでしょうか。

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・橋川正人(野球選手)

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・『思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿』久保田龍雄, 日刊スポーツ出版社, 2014年, pp.12-13, pp.20-21
・『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]10 兵庫編』ベースボール・マガジン社, 2009年, p.66
・『甲子園100年物語』枻出版社, 2015年, p.79
・『甲子園 運命の一球』森岡浩, 枻出版社, 2018年, p.146
・『20世紀<春&夏の高校野球>完全版 まるわかり甲子園全記録』森岡浩, 新潮社, 2001年, pp.396-397
・『毎日グラフ 4月28日号 球春闘魂』毎日新聞社, 1979年, p.28
・『別冊週刊ベースボール陽春号 第51回選抜高校野球大会総決算』ベースボール・マガジン社, 1979年, p.95
・『輝け甲子園の星 センバツ大会号』日刊スポーツ出版社, 1979年, p.34
・『報知高校野球 春季増刊号 白球と青春を語るマガジン』報知新聞社, 1979年, p.73
・『輝け甲子園の星 ハワイ遠征・韓国遠征・宮崎国体詳細号』日刊スポーツ出版社, 1979年, pp.68-69
・『毎日グラフ 4月16・23日号 第61回センバツ高校野球総集編 球春燃える! 涙と栄光の甲子園』毎日新聞社, 1989年, p.23, pp.28-29, p.46
・『輝け甲子園の星 1989・4+5月号 ★第61回センバツ高校野球大会速報』日刊スポーツ出版社, 1989年, p.62, p.81
・『報知高校野球 '89センバツ速報◉東邦が涙の優勝!!』報知新聞社, 1989年, pp.56-57, p.68

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・ 1枚目:『サンデー毎日臨時増刊 3月24日 第62回選抜高校野球大会号』毎日新聞社, 1990年, p.4
・ 2枚目:『報知高校野球 '89センバツ速報◉東邦が涙の優勝!!』報知新聞社, 1989年, p.32
・ 3枚目:『毎日グラフ 4月16・23日号 第61回センバツ高校野球総集編 球春燃える! 涙と栄光の甲子園』毎日新聞社, 1989年, p.47
・ 4枚目:『サンデー毎日臨時増刊 3月24日 第62回選抜高校野球大会号』毎日新聞社, 1990年, p.4
・ 5枚目:『報知高校野球 春季増刊号 白球と青春を語るマガジン』報知新聞社, 1979年, p.9
・ 6枚目:『報知高校野球 大特集◉センバツ出場チーム完全ガイド』報知新聞社, 1980年, ピンナップ


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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球児を襲った「甲子園の嵐」、雨に笑い、雨に泣いたチーム(前編)

春夏合わせて降雨コールド、降雨ノーゲームとなったのは20試合近くにも上り、雨に笑い、雨に泣いたチームも数多く存在する。今回は雨にまつわる試合の中から7試合を選んでみた。降雨コールド(前編)、降雨ノーゲーム(前編)、降雨引き分け(後編)、泥試合(後編)の4部に分けて紹介しよう。

☆降雨コールド☆

7回完了、または後攻チームがリードした7回表終了の時点で成立する。ただし、決勝戦では9回を終了しなければノーゲーム扱いとなる。

1988年夏、初戦の高田と滝川二戦は初出場同士のフレッシュな対決となった。1回表、高田は佐々木が右越え3塁打を放つと、続く尾形の中前打で1点を先制。その裏、滝川二は佐野貴英(のち大洋)の右前打などで1-1の同点に追い付くと、3回には山本が2点本塁打を放ったが、雨は一段と激しさを増し、エース・藤原秀行(のち鷺宮製作所)にとっては苦しいピッチングとなった。雨でぬかるんだマウンドに足を取られ、得意のカーブが決まらず、直球も思ったコースに投げられない。5回に四球、自らの暴投で2失点。以降も外角のカーブがすっぽ抜け、6回、7回に1点ずつ追加された。そして8回裏2死、ついに降雨コールドが宣告。9-3で滝川二が2回戦進出を決めたが、大会本部の判断で校歌演奏や校旗掲揚は省略。さらに、2回戦で東海大甲府に3-5で敗退したため、1勝したにも関わらず、校歌を歌わずに甲子園を去ることとなってしまった。ちなみに、滝川二が勝利した翌日の「熱闘甲子園」の冒頭ではスタッフの計らいで滝川二の校歌が流されたという。

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(画像)雨足が激しくなり、苦しいピッチングとなった藤原(右)。得意のカーブが決まらず、直球も思ったコースに投げられなかった。

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(画像)試合後、握手を交わす両主将。降雨コールドは早稲田実と秋田中(現・秋田)戦以来、56年ぶりのことだった。


(動画)YouTubeより。

1993年夏、この年は全国的に梅雨が長引き、冷夏が続くという異常気象となった。昨夏から3季連続出場となった鹿児島商工(現・樟南)ナインにとっても、雨を恨みたくなるような大会だった。甲子園入り後、8月6日の組み合わせ抽選日に鹿児島が集中豪雨で死者48名、行方不明者1名という大惨事となり、初戦の東濃実戦では応援団が到着しなかった。2回戦の堀越戦では4回に中井の中前打などで2点を先制。7回には福崎がランニング本塁打を放ち、1点を追加したが、8回に岩切が右前打で出塁したところで雨は一段と激しさを増し、試合は中断。そのまま再開されることなく、降雨コールドが宣告された。3-0で鹿児島商工が3回戦進出を決めたが、大会本部の判断で校歌演奏や校旗掲揚は省略。降雨コールドは高田と滝川二戦(上記参照)以来、5年ぶりのことだったが、話はこれで終わりではなかった(下記に続く)。

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(画像)4回表、1死2、3塁で中前打を放った中井。7回にも福崎のランニング本塁打で1点を追加した。

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(画像)2回戦の鹿児島商工と堀越戦。グラウンドが水浸しとなり、8回表無死で降雨コールドとなった。


(動画)YouTubeより。

☆降雨ノーゲーム☆

7回の攻撃が完了せずに試合が打ち切られた場合、全ての記録が無効になる。

(上記の続き)3回戦の相手は常総学院だった。試合は鹿児島商工が4-0でリードしており、投げてはエース・福岡真一郎(のち九州産業大→プリンスホテル)が常総学院打線をわずか1安打に抑え込むパーフェクトピッチング。そのまま続行していたら勝利していただろうと思われた。しかし、雨は一段と激しさを増し、4回表1死、ついに降雨ノーゲームが宣告。鹿児島商工は同じ大会で降雨コールドと降雨ノーゲームの両方を体験する珍しいチームとなった。翌日の再試合では前日とは打って変わり、福岡とエース・倉則彦(のち東洋大→東芝府中→東芝)の息詰まる投手戦となった。7回表、常総学院は金子誠(のち日本ハム)が強襲安打で出塁すると、島田は1ゴロだったが、福崎が後ろに逸らし、1点を先制。これが決勝点となり、1-0で常総学院が準々決勝進出を決めた。敗退したとはいえ、福岡は常総学院打線を5安打9奪三振。翌夏では決勝の佐賀商戦で満塁本塁打を浴び、4-8で敗退したが、見事準優勝投手に輝いた。

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(画像)3回戦の鹿児島商工と常総学院戦。グラウンドが水浸しとなり、4回表1死で降雨ノーゲームとなった。

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(画像)7回表、常総学院は1死2、3塁で島田の1ゴロを福崎が弾き、金子が生還。これが決勝点となった。

1982年夏、2回戦の日大二と八幡大付(現・九州国際大付)戦では2回の攻撃中にすさまじい雷の音がした。試合は八幡大付が4-2でリードしており、そのまま続行していたら勝利していただろうと思われた。しかし、6回裏1死、ついに降雨ノーゲームが宣告。日大二の高本晴夫部長はほくそ笑んでいた。1965年夏、日大二は初戦で岡山東商と対戦。1-3とリードされていたところを雨に助けられた。再試合ではエース・平松政次(のち日本石油→大洋)を攻略し、4-0で勝利。高本部長はその時の監督だったのである。そして3日後の再試合では両チームともに別の投手を先発。試合は壮絶な打撃戦となった。3回裏、日大二は倉本の2塁打などで1点を先制すると、3回にはスクイズなど、小技の野球で2点を追加。4回表、八幡大付は3長短打で3-3の同点に追い付くと、5回には相手の失策、川端の左前打で逆転に成功した。6回裏、日大二は田辺の内野安打などで5-5の同点に追い付くと、7回にはエース・片岡達也の左越え2塁打などで3点を追加。8回にも中村の2塁打などでダメ押しとも言える1点を追加し、9-6で勝利。負けていた試合を降雨ノーゲームに救われ、再試合で勝利という17年前の奇跡を再現した。

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(画像)2回戦の日大二と八幡大付戦。グラウンドが水浸しとなり、6回裏1死で降雨ノーゲームとなった。

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(画像)壮絶な打撃戦を制した日大二。再試合で勝利という17年前の奇跡を再現した。


(動画)YouTubeより。

▼後編


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・福岡真一郎(野球選手)
・倉則彦(野球選手)

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・『思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿』久保田龍雄, 日刊スポーツ出版社, 2014年, pp.56-57, pp.95-96, pp.130-131
・『夏の甲子園トリビア ~47都道府県別対抗~』ダイアプレス, 2013年, p.81
・『熱闘!! 甲子園夢伝説 ビッグ・ヒーロー&ゲーム1956~2002』学研, 2002年, p.134
・『甲子園エンターテインメント ~それぞれの夏~ ◯専門誌では読めない高校野球の真実と現実!』英和出版社, 2007年, p.108
・『思い出甲子園 ヒーローと呼ばれたエースたち』日刊スポーツ出版社, 2006年, p.70
・『一生分の夏』矢崎良一 山岡淳一郎 鈴木洋史 他, 竹書房, 2005年, pp.154-157
・『夏の甲子園 名勝負ベスト100』2018年, 文藝春秋, p.145
・『平成甲子園 ~高校野球真夏の名勝負~』日刊スポーツ出版社, 2008年, p.80
・『アサヒグラフ増刊 9月3日号 第64回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1982年, p.49
・『週刊ベースボール 9月4日号増刊 第64回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1982年, pp.66-67, p.162
・『輝け甲子園の星 1982 Vol.4 ★第64回全国高校野球選手権』日刊スポーツグラフ, 1982年, p.121
・『ホームラン 9月号 第64回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1982年, p.102
・『報知高校野球 速報◉'82選手権大会大特集』報知新聞社, 1982年, p.102
・『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '88甲子園の夏 第70回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1988年, p.32
・『週刊ベースボール 9月10日号増刊 第70回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1988年, p.68, pp.94-95, p.161
・『輝け甲子園の星 1988・8+9月号 ★第70回全国高校野球選手権記念大会』日刊スポーツ出版社, 1988年, p.102
・『ホームラン 高校野球 9月号 第70回大会特別記念号』日本スポーツ出版社, 1988年, p.49
・『報知高校野球 '88選手権速報◉広島商6度目のV』報知新聞社, 1988年, p.77
・『アサヒグラフ増刊 8月30日号 '93[甲子園の夏] 第75回全国高校野球選手権記念大会』朝日新聞社, 1993年, pp.106-107, p.117
・『週刊ベースボール 9月3日号増刊 第75回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1993年, pp.62-63, p.184, p.189
・『輝け甲子園の星 1993 夏の大会号』日刊スポーツ出版社, 1993年, p.39, p.65
・『ホームラン 9・10月号 '93夏甲子園グラフィティ 第75回大会』日本スポーツ出版社, 1993年, pp.103-104
・『報知高校野球 育英うれしい初優勝・'93選手権速報』報知新聞社, 1993年, p.97, p.103

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・ 1枚目:『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '88甲子園の夏 第70回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1988年, p.33
・ 2枚目:『YouTube』1988 70回大会 熱闘甲子園 1回戦 滝川二 vs 高田 昭和63年, 2020年, https://www.youtube.com/watch?v=1svrmYxmMhk
・ 3枚目:『アサヒグラフ増刊 8月30日号 '93[甲子園の夏] 第75回全国高校野球選手権記念大会』朝日新聞社, 1993年, p.106
・ 4枚目:『報知高校野球 育英うれしい初優勝・'93選手権速報』報知新聞社, 1993年, p.33
・ 5枚目:『週刊ベースボール 9月3日号増刊 第75回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1993年, p.245
・ 6枚目:『報知高校野球 育英うれしい初優勝・'93選手権速報』報知新聞社, 1993年, p.16
・ 7枚目:『アサヒグラフ増刊 9月3日号 第64回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1982年, p.48
・ 8枚目:『報知高校野球 速報◉'82選手権大会大特集』報知新聞社, 1982年, p.51


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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北陸一の好投手、緊迫した好ゲームで球場を沸かせた金沢のエース

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金沢のエース・岡本寿は中学時代からエースとして活躍。183センチの長身から直球、カーブを内外角に投げ分け、コントロールの良さも兼ね備えていた。1年春に北信越大会で初登板を果たすと、同年秋からはエースナンバーを背負った。秋の県大会では決勝で津幡を6-1で下し、北信越大会進出を決めたが、決勝の福井商戦で9回に2点本塁打を打たれ、2-3xで敗退。たった一球で敗戦投手となってしまった。

「あれはとても良い勉強になりましたね。一球の大切さを知りました」

それでも防御率1.34の成績を残し、県内随一の好投手として注目を集めた。岡本は決勝の福井商戦で味わった屈辱を晴らすため、ランニングに精を出した。さらに、配球に磨きをかけ、下半身も安定。ボールにも重みが出るようになった。

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(画像)1年秋からエースナンバーを背負った岡本。「三振を取れる投手」を目標としており、コントロールの良さも兼ね備えていた。

初戦の相手は帝京だったが、甲子園の雰囲気に岡本は呑み込まれた。直球にはスピードがあったが、コーナーを突く制球力に欠け、帝京打線に付け入る隙を与えてしまった。初回からカーブを狙われ、小沢の左前打、連続四球で2死満塁のピンチを招くと、続く平山に右越え2塁打を打たれ、2失点。7回には味方の失策、四球で1点を失った。味方打線も8回までエース・芝草宇宙(のち日本ハム→ソフトバンク→興農ブルズ)にわずか3安打に抑え込まれていたが、9回に反撃を開始する。山崎、与野木の連続安打などで無死満塁のチャンスを作ると、続く岩井は2ゴロに打ち取られたが、その間に山崎が生還。角尾の内野安打で1点差にまで詰め寄った。

「岡本、逆転の一打を頼むぞ」

吉岡マネージャーの言葉を背に受け、岡本は打席に入ったが、結果は捕邪飛。2-3で敗退となり、岡本は初戦で甲子園を去ることとなった。試合後、岡本はこう話した。

「カーブが高めに浮いて自分のピッチングができなかった。ストライクを取りに行くカーブが決まらず、それが四球に繋がった」

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(画像)初回から帝京打線に掴まった岡本。持ち前の制球力を生かすことができず、初戦で甲子園を去ることとなった。

すぐに夏に向けての練習が始まった。岡本は筋力トレーニングやランニングを徹底的に繰り返し、下半身を鍛え直した。速球、カーブの切れ味が増し、春の県大会では25イニングを投げ、3失点。北信越大会準決勝で篠ノ井に1-3で敗退したが、夏の県大会では優勝候補筆頭だった。大きく曲がるカーブ、打者の手元で伸びる速球で相手打者を手玉に取り、全4試合を投げ、42奪三振。また、チーム打点18のうち、8打点を叩き出し、投打にわたって活躍した。

初戦の相手は八頭だった。3回表、金沢は山崎が左越え2塁打で出塁すると、宮口が中前打を放ち、1点を先制。4回には角尾の右越え2塁打などで1点を追加すると、7回にも2死3塁で岡本が自らのバットで左前打を放ち、1点を追加した。岡本は投げても7回まで八頭打線を3安打1失点。8回に藤原の内野安打、自らの悪送球で1点差にまで詰め寄られたが、粘りの投球で後続を断ち、3-2で勝利を収めた。試合後、岡本はこう話した。

「自分の目指した投球ができた。打撃より、好投できたことが嬉しい」

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(画像)7回表、2死3塁で決勝の左前打を放った岡本。投げては八頭打線を4安打2失点に抑え込み、投打にわたって活躍した。


(動画)YouTubeより。

2回戦の東亜学園戦では初回に小関の中前打、味方の失策などで3点を失ったが、以降は速球、カーブを織り交ぜ、東亜学園打線を5安打無失点に抑え込んだ。2回裏、金沢は垂水が右翼ラッキーゾーンにソロ本塁打を放つと、9回には垂水、岩井の連続安打、相手の失策で1点差にまで詰め寄ったが、反撃も及ばず、2-3で敗退。試合後、岡本はこう話した。

「立ち上がりに気を付けようとの気持ちに、体が付いていかなかった。投球が少々高めに浮いたし、もっと間合いを取れば良かったと思う」

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(画像)立ち上がりを攻められた岡本。初回の3失点が重くのしかかり、春に続いてまたも東京都勢に惜敗した。


(動画)YouTubeより。

2年秋は北信越大会大会準々決勝で上田に0-2で敗退。翌春の選抜出場はならなかったが、打線が尻上がりに調子を上げ、岡本も好調だった。春の北信越大会では決勝で新潟明訓を10-5で下し、優勝を達成。投打にバランスが取れており、夏の県大会でも優勝候補筆頭だった。岡本は直球、カーブで相手打者を手玉に取り、準決勝の北陸大谷戦では6回コールドで参考記録だが、ノーヒットノーランを達成。決勝で津幡を8-5で下し、甲子園への切符を掴んだ。岡本は32イニングを投げ、32奪三振。打っては4番を任され、投打にわたって活躍した。

初戦の相手は東海大甲府だった。6月の練習試合では東海大甲府打線を8回まで3安打に抑え込み、岡本は「ウチが上」と自信満々だった。試合は予想通り、金沢ペースで進んでいった。石黒和宏(のち住金鹿島)の立ち上がりを攻め、山崎、垂水の連続安打で1点を先制すると、3回にも岡本の右前打、中居の中越え2塁打で2点を追加。投げては岡本が6回まで東海大甲府打線を5安打1失点に抑え込んでいたが、東海大甲府も粘る。7回に山口幸勇(のち大洋)が2塁打で出塁すると、太田が2点本塁打を放ち、3-3の同点に追い付いた。岡本は疲れもあったからか、終盤に入ってからは直球が真ん中に集まり、そこを東海大甲府打線に狙われていた。9回裏、東海大甲府は山口が2塁打で出塁したが、ここから岡本が意地を見せる。甲斐を捕邪飛、石黒を三振に打ち取り、2死まで漕ぎ着けた。

「抑えてやる」

続く山崎には内角の直球を投げ込んだが、ボールは高めに浮いてしまった。中前に弾き返され、山口が生還。3-4xで敗退し、岡本の最後の夏は終わりを告げた。

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(画像)試合前は「ウチが上」と自信満々の岡本だったが、終盤に東海大甲府の強力打線に掴まってしまった。


(動画)YouTubeより。

「また力不足を感じさせられた」

試合後、岡本はこう話した。3度目の甲子園。岡本は甲子園に出場する度に「良い勉強」をさせて貰うだけの結果に終わっていた。2年春は初戦で帝京に2-3で敗退したが、同年夏は初戦の八頭戦でチームの夏の甲子園初勝利に大きく貢献。その後はトレーニングを行い、球威、球速ともに北陸一の好投手と呼ばれるほどにまで成長した。最上級生で挑んだ夏は初戦で東海大甲府にサヨナラ負けを喫したが、甲子園で登板した試合はいずれも1点差の接戦であり、緊迫した好ゲームで球場を沸かせた。対戦相手にも恵まれていなかったが、岡本は好投手と互角に投げ合った。「この先、この失敗が生きると思う」と言い残し、岡本は甲子園を去っていった。

卒業後、岡本は駒澤大学に進学したが、目立った活躍はできなかった。その後はJR東日本に入社。引退後もコーチとしてチームを支え続けた。現在は富士見クラブのコーチを務めている。

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(画像)北陸一の好投手と呼ばれた岡本。好投手と互角に投げ合い、緊迫した好ゲームで球場を沸かせた。

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・特になし

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・『ホームラン 高校野球12+1月号 '87高校野球 '87センバツ出場校はここだ!』日本スポーツ出版社, 1987年, p.85
・『サンデー毎日臨時増刊 3月21日 第59回選抜高校野球大会号』毎日新聞社, 1987年, pp.101-102
・『別冊週刊ベースボール◉春季号 第59回選抜高校野球大会総ガイド』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.60
・『月刊高校野球マガジン4 '87センバツ直前特集号』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.21
・『輝け甲子園の星 1987・2+3月号 ★第59回選抜高校野球大特集』日刊スポーツ出版社, 1987年, p.50
・『ホームラン 高校野球2+3月号 第59回センバツ大会展望号 ワイド特集 出場32チーム戦力徹底分析』日本スポーツ出版社, 1987年, pp.59-60, p.77
・『報知高校野球 大特集◉'87センバツ出場校完全ガイド』報知新聞社, 1987年, pp.72-73
・『毎日グラフ 4月19・26日合併号 球春燃ゆ! 甲子園 総集編』毎日新聞社, 1987年, p.29
・『別冊週刊ベースボール陽春号 第59回選抜高校野球大会決算号』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.22
・『輝け甲子園の星 1987・4+5月号 ★第59回センバツ高校野球大会』日刊スポーツ出版社, 1987年, p.28
・『ホームラン 高校野球 5月号 めざすは夏の甲子園! 夏の49地区代表校予想』日本スポーツ出版社, 1987年, p.31, p.78
・『報知高校野球 '87センバツ速報◉PL学園3度目の優勝』報知新聞社, 1987年, p.53
・『週刊ベースボール 7月4日号増刊 第69回全国高校野球選手権大会予選展望号』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.126
・『輝け甲子園の星 1987・6+7月号 ★特集・青春メモリー、夏の日再び』日刊スポーツ出版社, 1987年, p.117
・『ホームラン 高校野球6+7月号 全国高校野球地区予選展望号』日本スポーツ出版社, 1987年, p.87
・『週刊朝日 8月10日号増刊 '87甲子園大会号』朝日新聞社, 1987年, pp.68-69
・『アサヒグラフ増刊 9月1日号 '87甲子園の夏 第69回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1987年, p.18, p.74
・『週刊ベースボール 9月5日号増刊 第69回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.154, p.177
・『輝け甲子園の星 1987・8+9月号 ★第69回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1987年, p.78, p.113
・『ホームラン 高校野球 8+9月号 '87甲子園大会決戦速報』日本スポーツ出版社, 1987年, p.76, p.111
・『報知高校野球 '87選手権速報◉PL、春夏連覇を達成!』報知新聞社, 1987年, p.70, p.93
・『'87夏★甲子園の恋人たち 第69回全国高校野球選手権大会ヒーローとっておき写真集』学研, 1987年, p.82
・『ザ・甲子園'87 KOHSHIEN MEMORIAL PHOTO BOOK』CBS・ソニー出版, 1987年, p.64
・『月刊高校野球マガジン4 '88センバツ直前大特集』ベースボール・マガジン社, 1988年, pp.108-109
・『輝け甲子園の星 1988・6+7月号 ★特集・心に残ったあの球児』日刊スポーツ出版社, 1988年, p.123
・『ホームラン 高校野球 6+7月号 熱球甲子園 全国高校野球地区予選展望号』日本スポーツ出版社, 1988年, p.90
・『週刊朝日 8月15日号増刊 '88甲子園大会号』朝日新聞社, 1988年, pp.74-75
・『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '88甲子園の夏 第70回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1988年, pp.38-39
・『週刊ベースボール 9月10日号増刊 第70回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1988年, pp.72-73, p.164
・『輝け甲子園の星 1988・8+9月号 ★第70回全国高校野球選手権記念大会』日刊スポーツ出版社, 1988年, p.109
・『ホームラン 高校野球 9月号 第70回大会特別記念号』日本スポーツ出版社, 1988年, p.75
・『報知高校野球 '88選手権速報◉広島商6度目のV』報知新聞社, 1988年, p.80
・『'88夏・甲子園の恋人たち 第70回全国高校野球記念大会ヒーロー・ビッグ写真集』学研, 1988年, p.85
・『輝け甲子園の星特別編集 アイドルスペシャル'88』日刊スポーツ出版社, 1988年, p.63

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・ 1枚目:『ザ・甲子園'87 KOHSHIEN MEMORIAL PHOTO BOOK』CBS・ソニー出版, 1987年, p.65
・ 2枚目:『輝け甲子園の星 1987・2+3月号 ★第59回選抜高校野球大特集』日刊スポーツ出版社, 1987年, p.85
・ 3枚目:『週刊朝日 8月15日号増刊 '88甲子園大会号』朝日新聞社, 1988年, p.202
・ 4枚目:『アサヒグラフ増刊 9月1日号 '87甲子園の夏 第69回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1987年, p.18
・ 5枚目:『輝け甲子園の星特別編集 アイドルスペシャル'88』日刊スポーツ出版社, 1988年, p.88
・ 6枚目:『週刊ベースボール 9月10日号増刊 第70回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1988年, p.16
・ 7枚目:『YouTube』1988 70回大会 熱闘甲子園 1回戦 東海大甲府 vs 金沢 昭和63年, 2020年,
https://www.youtube.com/watch?v=ePoC6ryYIIM


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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延長13回から動いた死闘、2度掴みかけて掴み切れなかった勝利

1982年春、この大会は早稲田実、上尾、PL学園、箕島など、強豪校が目白押しだったが、その中でも頭一つ抜き出ていたのは箕島だった。エース・上野山辰行(のち同志社大)は真っ向から投げ下ろす直球、鋭い変化球が武器であり、吉井理人(のち近鉄→ヤクルト→メッツ→ロッキーズ→エクスポズ→オリックス→ロッテ)との「2枚看板」である。打線の破壊力も十分であり、チーム打率は.374。35本塁打と大会出場校の中で最も高く、岩田充裕(のち近畿大→住友金属)をはじめ、泉、住吉義則(のちプリンスホテル→日本ハム→ロッテ)のクリーンアップの破壊力は抜群だった。また、豪快なパンチ力を秘めた選手も多く、尾藤公監督が「打力はこれまで見てきた中で一番。良い打線だと思う」と言い切ったほどだった。

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(画像)真っ向から投げ下ろす直球、鋭い変化球が武器だった上野山。また、豪快なパンチ力を秘めた選手も多く、投打にバランスが取れていた。

一方、チーム力では明徳(現・明徳義塾)も負けてはいなかった。エース・弘田旬(のち東洋大)は233イニングを投げ、防御率1.12。2種類のカーブ、シュート、フォークなど、球種も多彩だった。秋の四国大会では初戦の池田戦でエース・畠山準(のち南海→大洋)に投げ勝った自信は大きく、神宮大会でも落ち着いたマウンド捌きで優勝を達成。打線も有力選手が揃っており、特に藤本茂喜(のち巨人)は40打点を記録。さらに、社会人チームを相手に3勝1敗と互角以上の勝負をした攻撃は高校生のレベルを超えていた。

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(画像)伸びのある直球、多彩な変化球で相手打者を手玉に取った弘田。右の技巧派として注目を浴びていた。

箕島の初戦の相手は上尾だった。エース・日野伸一(のち東洋大→ホンダ)は今大会屈指の好投手との呼び声も高かったが、岩田のソロ本塁打を含む8安打を放ち、6-2で勝利。一方、明徳も瀬田工を11-0で下しており、試合前は両チームの特性から考え、打撃戦になるかと思われたが、1点を争う投手戦が展開される。弘田が外角低めの直球、カーブを織り交ぜ、9回まで箕島打線を3安打無失点に抑え込めば、対する上野山もカーブ、フォークなどを組み合わせ、明徳打線を5安打無失点。9回まで0行進が続き、試合は延長戦に突入した。11回裏、箕島は杉山が2塁打で出塁したが、岩田の犠打の構えで飛び出していた杉山がタッチアウト。走塁ミスでサヨナラのチャンスを逃してしまった。12回表、明徳は国沢が内野安打で出塁すると、国沢はすかさず2盗。下崎の中前打で国沢は一気に本塁を突いたが、タッチアウトとなった。

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(画像)試合前は打撃戦になるかと思われたが、1点を争う投手戦が展開。両エースの好投で試合は延長戦に突入した。

試合が動いたのは13回だった。明徳は梶原が2塁打で出塁。1死後、清水がスクイズを決め、1点を先制すると、藤本茂が中越え3塁打を放ち、1点を追加。2点のリードを奪い、誰もが明徳の勝利を信じて疑わなかった。松田昇監督はこう話した。

「あと1点入れておけば箕島の息の根を完全に止めることができたが、2点あれば弘田の状態から見ても大丈夫だと思った。弘田もそう思ったのではないだろうか」

一方、箕島は裏の攻撃が始まる前、尾藤監督は「向こうが点を取れたんだからな、こっちだって取れないわけはない」と喝を入れた。この檄で選手たちは蘇る。杉山、岩田の連続安打で2死2、3塁のチャンスを作ると、続く泉が中越え2塁打を放ち、土壇場で2-2の同点に追い付いた。しかし、上野山の投球数は既に200球を超えており、流石に疲れが見え始めた。14回表、明徳は連続四球、武田の内野安打で1死満塁のチャンスを作ると、堀尾が中前打を放ち、国沢が生還。2塁走者・下崎も続いて本塁に駆け込んだが、中堅手からの好返球でアウトとなった。

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(画像)14回表、明徳は堀尾の中前打で国沢に続き、2塁走者・下崎も本塁に駆け込んだが、中堅手からの好返球でアウトとなった。

その裏、箕島は1死から木戸が2塁打で出塁。藤本剛は3ゴロかと思われたが、梶原が後ろに逸らし、1死1、3塁となった。ここで明徳は満塁策を選択したが、弘田はかなり喘いでいた。球数は170球を超え、球が走らず、コントロールも悪くなっていた。

「自分が頑張らんといけん。皆が点を取ってくれているのに…」

弘田はそう言い聞かせていた。内角にカーブを投げ、とにかく内野ゴロに打ち取ることだけを考えた。弘田はカーブを狙った通りのコースに投げ込んだが、杉山の打球は3塁線を抜けていき、2者が生還。4x-3で箕島が準々決勝進出を決めた。

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(画像)14回裏、箕島は1死満塁で杉山が左前打を放ち、3塁走者・木戸に続いて村田も生還。3時間を超える熱戦に終止符が打たれた。


(動画)YouTubeより。

試合後、尾藤監督は「最後は彼らの可能性を信じてました。明徳も凄い気力でしたが、上野山も良く頑張った。気力に満点やりたい」と話した。

一方、松田監督は「あの粘り強さに、わしのコンピュータまで故障してしまいました。老いた武蔵が、若い小次郎にしてやられてしもうた」と話した。インタビューを終えた後、両監督は握手を交わし、お互いの健闘を称え合った。松田監督は「今度、箕島に勝ってみせる。このままではユニフォームを脱ぐわけにはいかんし、その日まで死ぬわけにはいかん」と箕島との再戦を望んでいたが、同年秋に四国大会を前にした練習中にグラウンドで倒れ、77歳でこの世を去った。ちなみに、松田監督は教え子たちにこう言ったという。

「うちの若い者も、箕島とああいう試合をしたことを忘れないでもらいたい。宝物にせにゃいかん」

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(画像)甲子園通算18勝10敗の成績を残した松田監督。同年秋に結腸癌のため、77歳でこの世を去った。

・『高校野球 珠玉の名勝負&名場面ベスト100』:44位

▼箕島名勝負7選


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・岩田充裕(野球選手)
・弘田旬(野球選手)

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・『ああ甲子園』松尾俊治, スポニチ出版, 1982年, pp.206-210
・『ふるさとの甲子園ヒーロー 甲子園カルトの会』徳間オリオン, 1994年, pp.256-257
・『不滅の高校野球・下 栄光と感激のあと 昭和38年ー昭和54年』松尾俊治, ベースボール・マガジン社, 1984年, pp.358-359
・『別冊宝島454 甲子園名勝負読本 胸を熱くした激闘譜の数々 感動と興奮が今ここに甦る』宝島社, 1999年, pp.116-119
・『高校野球100年史』森岡浩, 東京堂出版, 2015年, pp.295-296
・『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]6 四国編 香川・徳島・愛媛・高知』ベースボール・マガジン社, 2008年, p.70
・『サンデー毎日臨時増刊 3月20日 第54回選抜高校野球号』毎日新聞社, 1982年, pp.117-118, pp.144-145
・『別冊週刊ベースボール春季号 第54回選抜高校野球大会』ベースボール・マガジン社, 1982年, p.46, p.72, p.125, p.138
・『一球入魂 3月増刊号 熱戦甲子園 第54回選抜高校野球大会』ベースボール・マガジン社, 1982年, p.216, p.225
・『輝け甲子園の星 Vol.1 早春号★センバツ展望特集』日刊スポーツグラフ, 1982年, pp.32-33
・『ホームラン センバツ大会 ワイド特集 出場30校戦力徹底分析 エース30人完全調査』日本スポーツ出版社, 1982年, p.73, p.84
・『報知高校野球 '82センバツ特集◉出場30校完全ガイド』報知新聞社, 1982年, p.18, p.70, p.96
・『毎日グラフ 4月24日号 球春沸騰! 燃える甲子園』毎日新聞社, 1982年, p.73
・『別冊週刊ベースボール陽春号 第54回選抜高校野球大会』ベースボール・マガジン社, 1982年, p.81, pp.124-127
・『輝け甲子園の星 Vol.2 ★第54回センバツ大会号』日刊スポーツグラフ, 1982年, p.36
・『ホームラン '82センバツ 第54回大会熱戦グラフ 我々はこうして紫紺の大旗を握った!』日本スポーツ出版社, 1982年, p.108


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・ 1枚目:『毎日グラフ 4月24日号 球春沸騰! 燃える甲子園』毎日新聞社, 1982年, p.84
・ 2枚目:『毎日グラフ 4月24日号 球春沸騰! 燃える甲子園』毎日新聞社, 1982年, p.73
・ 3枚目:『輝け甲子園の星 Vol.2 ★第54回センバツ大会号』日刊スポーツグラフ, 1982年, p.137
・ 4枚目:『毎日グラフ 4月24日号 球春沸騰! 燃える甲子園』毎日新聞社, 1982年, p.72
・ 5枚目:『毎日グラフ 4月24日号 球春沸騰! 燃える甲子園』毎日新聞社, 1982年, p.75
・ 6枚目:『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]6 四国編 香川・徳島・愛媛・高知』ベースボール・マガジン社, 2008年, p.9


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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史上2人目のサイクル安打達成、快記録の代名詞となった土佐の中堅手

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土佐の中堅手・玉川寿は高校で野球をするつもりはなかったが、中学のソフトボール部の監督に勧められ、土佐に進学することを決めた。土佐は1952年春に甲子園初出場。1953年夏には「全力疾走」で準優勝を達成したが、県内には「高知商」「高知」の2強がおり、1967年夏を最後に甲子園出場から遠ざかっていた。進学校であるため、甲子園出場を義務付けられていたわけではなかったが、籠尾良雄監督の目標が「甲子園出場」であり、「高知商」「高知」の2強を倒すために厳しい練習を行った。その環境の中で玉川は瞬く間に才能の片鱗を見せ始める。173センチと小柄だったが、鋭い打球が右へ左へ飛んでいく。中学時代に重くて大きいソフトボールを打っていたこともあり、体重を乗せてボールを運ぶというテクニックを身に付けていたのだ。1年夏の練習試合では代打で出場したが、銚子商のエース・土屋正勝(のち中日→ロッテ)に三振に打ち取られ、全国レベルの高さを知った。その後はひらすら甲子園出場を目指し、玉川は走塁と守備の未熟さの解消に務めた。2年夏は県大会初戦で高知商を9-7で下すと、準々決勝では杉村繁(のちヤクルト)を擁する高知を6-0で下し、2強を突破。南四国大会も勝ち抜き、甲子園への切符を掴んだ。

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(画像)籠尾監督の指導で才能が開花した玉川。体重を乗せてボールを運ぶというテクニックを身に付けていた。

初戦の相手は桂だった。玉川の第1打席は捕邪飛に打ち取られたが、3回の第2打席は1死2塁で外角の直球を強振。打球は一直線に右中間に飛んでいき、2点本塁打となった。5回の第3打席も外角の直球を中前に弾き返し、一気に3塁を陥れると、7回の第4打席ではまたも外角の直球を弾き返し、右中間を破る2塁打。8回の第5打席は内角直球を振り抜くと、打球は1塁手を強襲。玉川が1塁に駆け込んだ瞬間、平安(現・龍谷大平安)の杉山真治郎(のち日本大→大映)以来、史上2人目のサイクル安打達成となった。投げてはエース・片田統途、伊藤が桂打線を4安打1失点に抑え込み、8-1で快勝。玉川は5打数4安打3打点の活躍だった。試合後、玉川はこう話した。

「相手投手が右の下手投げというのは、左打者の僕が得意のタイプなんです。でも単打から長打、それに本塁打までサイクルヒットが打てるなんて夢みたいです」

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(画像)史上2人目のサイクル安打を達成した玉川。本塁打→3塁打→2塁打→単打と綺麗な順番で打ち分けた。

3回戦の相手は上尾だったが、初回から片田が打ち込まれ、7安打4失点。試合はワンサイドになるかと思われたが、3回に土佐が反撃を開始する。大谷の左越え3塁打で2点を返すと、5回には玉川が自らのバットで右越え3塁打を放ち、1点差にまで詰め寄った。しかし、以降はエース・今太(のち東芝)に完璧に抑え込まれ、追加点が奪えなかった。6回、9回には2塁打でチャンスを作ったが、あと1本が出ず、3-4で敗退。代わった伊藤が上尾打線を無失点に抑え込んでいただけに、前半の大量失点が悔やまれた。

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(画像)敗退したとはいえ、評判通りの打撃センスを見せた玉川。全2試合で9打数5安打4打点。打率.556の成績を残した。

大会後、玉川は全日本アメリカ遠征のメンバーにも選出され、他校の選手たちと親睦を深めていった。その後は打力向上に努め、一段とバッティングが上手くなった。秋の県大会では準優勝を達成。四国大会進出を決めたが、初戦で徳島商に延長12回の末、4-5xで敗退。翌春の選抜出場は絶望的となってしまったが、最大の注目であった原辰徳(のち東海大→巨人)を擁する東海大相模が県大会準々決勝で横浜に5-6で敗退。主催側の毎日新聞社にとって、これはかなりの痛手だった。なぜなら、当時毎日新聞社は西山事件で深刻な経営不振に陥っており、販売戦略上の意義が極めて大きくなってきていたからである。ところが、東海大相模が救済しようのない段階で敗退してしまった。そこで原に次ぐ集客と話題作りの選手として目を付けたのが玉川だった。片田、伊藤の「2枚看板」やサイクル達成者の玉川を擁する土佐が選抜出場となれば、世間の注目を浴びることは確実である。しかし、当時の四国枠は3枠しかなく、土佐を選出するには最低でも4枠が必要。そこで地区ごとの割り振りの見直しを行い、四国枠を1枠増加したのだ。こういった経緯もあり、逆転で土佐が選抜出場校に選ばれたのだった。

初戦の相手は豊見城だった。エース・赤嶺賢勇(のち巨人)は速球、2種類のカーブを武器とする本格派である。昨夏のサイクル達成者の玉川、今大会屈指の好投手である赤嶺の対決など、注目の一戦は予想通りの好ゲームとなった。玉川の第1打席は1ゴロ、第2打席は三振と立ち上がりは完璧に抑え込まれていたが、以降の2打席はいずれも安打を放ち、4打数2安打。怪我で不調だった赤嶺を攻め立て、4-3で勝利を収めた。

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(画像)サイクル男・玉川、沖縄の星・赤嶺の注目の対決。結果は4打数2安打と玉川に軍配が上がった。

2回戦の徳島商戦は四国同士の対決となった。2回表、土佐は小橋が2塁打で出塁。伊藤の犠打で2塁に進むと、続く坂田がスクイズを決め、1点を先制した。5回には相手の失策、武内の内野安打などで1死満塁のチャンスを作ると、続く大西が右前打を放ち、2点を追加。さらに、玉川も自らのバットで左前打を放ち、6-0で準々決勝進出を決めた。

準々決勝の相手は小山だった。1回表、土佐は川野の内野安打などで無死1、3塁のチャンスを作ると、玉川がスクイズを決め、1点を先制。3回にも玉川、小橋の連続安打で2点を追加したが、以降はエース・初見幸洋(のち筑波大)に無安打に抑え込まれ、追加点を挙げることができなかった。それでも3点のリードを奪い、試合は土佐ペースで進むかと思われたが、片田が中盤に小山打線に掴まり、3-4で敗退。惜しくも準決勝進出はならなかった。

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(画像)昨夏に比べ、一段とバッティングが上手くなった玉川。全3試合で11打数4安打3打点。打率.364の成績を残した。

すぐに夏に向けての練習が始まった。春の県大会では県代表決定戦で高知に0-5で敗退。それでも夏の県大会では優勝候補に名を連ね、3季連続甲子園出場も期待されたが、準決勝で高知商に0-5で敗退。甲子園出場の夢を断たれ、玉川の最後の夏は終わりを告げた。

卒業後、玉川は慶應義塾大学に進学。3度のベストナインを受賞し、チームの中心打者として活躍した。その後は日本石油(現・JX-ENEOS)に入社。1986年の都市対抗野球大会ではチームの優勝に大きく貢献した。1987年に引退し、現在は京極運輸商事の代表取締役を務めている。

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(画像)甲子園通算打率.450の成績を残した玉川。サイクル安打が人生のレールを敷いてくれたという。

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・今太(野球選手)
・黒田光弘(野球選手)

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・『スポーツ・スピリット21⑥ 高校野球 熱闘の世紀Ⅱ 4大ロング・インタビュー◎江川 卓/池永 正明/原 辰徳/荒木大輔』ベースボール・マガジン社, 2002年, pp.104-105
・『夏の甲子園 全試合記録BOOK 高校野球100回のメモリー』株式会社マガジンボックス, 2018年, p.135
・『不滅の高校野球・下 栄光と感激のあと 昭和38年ー昭和54年』松尾俊治, ベースボール・マガジン社, 1984年, p.292
・『甲子園エンターテインメント ~それぞれの夏~ ◯専門誌では読めない高校野球の真実と現実!』英和出版社, 2007年, p.117
・『スポーツ伝説10 甲子園の星たち [高校野球ヒーロー列伝]』ベースボール・マガジン社, 1999年, p.159
・『ホームラン 甲子園アイドル55 太田幸司から荒木大輔、水野雄仁まで』日本スポーツ出版社, 1983年, p.120
・『ホームラン ふるさと別に選んだ戦後甲子園の100人 平古場昭二から荒木大輔まで』日本スポーツ出版社, 1981年, p.90
・『ホームラン 8月号 青春!感動! 昭和甲子園物語 われらの時代を彩った思い出の球児100人』日本スポーツ出版社, 1989年, p.67
・『週刊朝日 8月13日号増刊 甲子園大会号 第57回高校野球選手権』朝日新聞社, 1975年, p.83
・『アサヒグラフ 9月5日号 第57回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1975年, p.32, p.67
・『週刊ベースボール 9月7日号増刊 第57回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1975年, p.61, p.74, p.157, p.166
・『<別冊週刊ベースボール秋季号> 甲子園讃歌/青春と若人のドキュメント』ベースボール・マガジン社, 1975年, p.56, p.100
・『輝け甲子園の星 第57回全国高等学校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1975年, p.28, p.37
・『ゴング10月号増刊 '75夏・甲子園大会 第57回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1975年, p.32, p.47, p.63, p.89
・『サンデー毎日臨時増刊 3月27日 第48回選抜高校野球号』毎日新聞社, 1976年, pp.138-139
・『<別冊週刊ベースボール春季号> 第48回全国選抜高校野球大会展望』ベースボール・マガジン社, 1976年, p.143
・『毎日グラフ 4月20日号 激突! 燃える甲子園』毎日新聞社, 1976年, p.18, p.32, p.58
・『<別冊週刊ベースボール陽春号> 春の甲子園/汗と涙の青春ドラマ総集』ベースボール・マガジン社, 1976年, p.42, p.99, p.124
・『ゴング5月号増刊 '76・センバツ大会 第48回センバツ高校野球大会総集』日本スポーツ出版社, 1976年, p.24, p.39, pp.60-62, p.92, pp.127-128
・『サンデー毎日臨時増刊 7月20日 燃えろ青春、甲子園への道』毎日新聞社, 1976年, p.128
・『ENEOS野球部』第10回 玉川 寿 〜史上2人目のサイクルヒット〜 奥原 万佐紀 〜甲子園でのホームラン〜, https://www.eneos.jp/baseball/eneosfan/seishun/e71_cobase_010.php(最終閲覧日:2021年2月3日)
・『激闘の記憶と栄光の記録』「激闘&栄光」掲示板, 2016年, https://fanxfan.jp/bb/log/_250h.html(最終閲覧日:2021年1月30日)

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・ 1枚目:『輝け甲子園の星特別号 思い出甲子園1975-1979』日刊スポーツ出版社, 1979年, p.64
・ 2枚目:『スポーツ・スピリット21① 高校野球 熱闘の世紀』ベースボール・マガジン社, 2001年, p.80
・ 3枚目:『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第58回高校野球選手権』朝日新聞社, 1976年, p.8
・ 4枚目:『ゴング5月号増刊 '76・センバツ大会 第48回センバツ高校野球大会総集』日本スポーツ出版社, 1976年, p.39
・ 5枚目:『スポーツ・スピリット21⑥ 高校野球 熱闘の世紀Ⅱ 4大ロング・インタビュー◎江川 卓/池永 正明/原 辰徳/荒木大輔』ベースボール・マガジン社, 2002年, p.105
・ 6枚目:『ゴング10月号増刊 '75夏・甲子園大会 第57回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1975年, p.47
・ 7枚目:『毎日グラフ 4月20日号 激突! 燃える甲子園』毎日新聞社, 1976年, p.44


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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‡Azure‡

京都府在住。女性。25歳。高校野球ファン歴は14年。これまで購入した高校野球本は数百冊。年間数十万円を高校野球に注ぎ込むほどのオタクです。他の趣味としては、美少女ゲームソング・天体観測・都市伝説・特撮など。「高校野球No.1ブログ=20世紀の高校野球」と言って頂けることを目標に日々運営中です。

画像は『地域別高校野球シリーズ15 北海道の高校野球』ベースボール・マガジン社, 2014年, p.52より

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名前:二十 球子(はた・たまこ)

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