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盛岡三のエース・小綿重雄は172センチ、64キロと小柄だった。球速は最速で120キロ台だったが、コントロールには絶対の自信があった。当初は四死球の多さに悩まされたが、3年春に村田栄三監督の指示で横手投げに転向。県大会まで2ヶ月に迫っていたが、指導を受けながら投げてみると、9割以上の球が捕手の構えた所に行った。制球力が向上し、カーブ、シュートを織り交ぜ、打たせて取るピッチングに徹した。自分の役割は打たせて取ることであり、三振を取ろうという考えは微塵もなかった。県大会では準々決勝で岩谷堂農林(現・岩谷堂)、準決勝で大槌を連続完封で下すと、決勝では盛岡商を4-2で下し、甲子園出場を決めた。

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(画像)村田監督の指示で横手投げに転向した小綿。制球力が向上し、打たせて取るピッチングに徹した。

初戦の八代東戦では潮谷広義と息詰まる投手戦を展開した。小綿は9回までに7安打を浴びたが、シュート、カーブで失点を許さなかった。9回まで0行進が続き、試合は延長戦に突入した。11回裏、盛岡三は1死から細川が四球で出塁。小綿、高屋敷の連続安打で1死満塁のチャンスを作ると、続く後藤がスクイズを決め、1x-0で勝利を収めた。試合後、小綿はこう話した。

「体の調子が悪くてボールに伸びがなく、苦しかった。でもバックを信頼し、無理な投球をしなかった」

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(画像)八代東打線を9安打無失点に抑え込んだ小綿。奪三振数は0だったが、粘りの投球で失点を許さなかった。

2回戦の藤沢商(現・藤沢翔陵)戦でもエース・堀江幹夫(のち日本鋼管)と息詰まる投手戦を展開した。1回表、藤沢商は矢部が3塁打で出塁したが、水落がスクイズ失敗。続く松沢、森野も内野ゴロに打ち取られ、先制点のチャンスを逃してしまった。2回裏、盛岡三は1死2、3塁で永井がスクイズを決め、1点を先制。これで小綿の投球はますます冴え渡る。緩いカーブで藤沢商打線を9安打無失点に抑え込み、1-0で勝利。20イニング連続無失点、2試合連続完封勝利は県勢史上初の快挙だった。試合後、小綿はこう話した。

「安打は出ても失策がないから点を取られない。殆どのアウトは野手が取っていたんです」

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(画像)緩いカーブで相手打者を手玉に取った小綿(中央右)。20イニング連続無失点、2試合連続完封勝利は県勢初の快挙だった。

「ベスト8に進みたい」

大会前、小綿は大きい夢を描いていた。ピッチングに自信があったのも理由の一つだが、それだけではなかった。盛岡三の監督は村田栄三という名監督であり、当時63歳。村田監督はこれまで、仙台一中(現・仙台一)、福岡中(現・福岡)、青森、盛岡三と4校を甲子園出場に導いたが、この大会を最後に勇退することになっていた。小綿の夢は、この村田監督の勇退が理由だったのである。

ベスト8を懸けた3回戦の高知商戦。4回裏、小綿は3長短打で甲子園初失点を喫したが、5回に味方打線が反撃を開始する。後藤、斎藤の安打で1-1の同点に追い付くと、以降はエース・浜田良彦(のち近畿大)との息詰まる投手戦が続いた。延長戦に入っても小綿は疲れを感じず、一生懸命腕を振り続けた。12回表、盛岡三は3四死球などで2死満塁のチャンスを作ると、続く細川の打球は3遊間に転がっていったが、それが不運にも2塁走者の足に当たってしまった。守備妨害が宣告され、勝ち越し打は幻となった。それでも小綿のピッチングは変わらなかった。カーブ、シュートを投げ分け、丁寧にコーナーを突いていく。14回裏、小綿は松崎に中前打を許したが、「ホームに返さなければ良い」と冷静だった。安岡を中飛、浜田を邪飛に打ち取ると、続く溝淵も打たせて取ろうと、細川は外角低めのカーブを要求したが、ボールは高めに浮いてしまった。

「やばい」

打球は右方向に高く上がった。小綿が振り返ると、右翼手が一度前進した後、後ろへ駆け出したが、打球はその頭上を越えていった。その間に松崎がサヨナラのホームを踏み、1-2xで敗退。準々決勝進出の夢を断たれ、小綿の最後の夏は終わりを告げた。それと同時に、村田監督にとっても甲子園での最後の試合となった。試合後、小綿はこう話した。

「同点にしてからは押し気味だったので、抑えていれば必ずと信じていたんですが…。悔しいです」

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(画像)たった一球で敗戦投手となってしまった小綿。しかし、下馬評を次々と覆してのベスト16入りは立派だった。

溝淵に打たれた144球目は小綿が時々、軌道を変えようと交えるスリークォーターからの投球である。抜群のコントロールを誇る小綿にとっては珍しい制球ミスだった。振り返ってみれば、苦しい試合の連続だった。初戦の八代東戦では毎回のように走者を背負ったが、シュート、カーブで連打を許さなかった。2回戦の藤沢商戦でも2種類のカーブを有効に使い、県勢初の2試合連続完封勝利を達成。いずれもスクイズで挙げた1点を守り切った。最少得点を守り抜くのは投手にとって一番辛いと言われるが、小綿はその1点を「重荷」にせず、寧ろ「武器」として利用していた。打たせて取るピッチングが小綿の真骨頂であり、小綿にとっての甲子園だった。惜しくも準々決勝進出はならなかったが、2試合連続1点差の攻防を制した快進撃は「さわやか旋風」と称賛され、スタンドからは惜しみない拍手が送られた。

大会後、小綿は若潮国体に出場。準々決勝で静岡に7-8で敗退したが、他校の選手たちと親睦を深めていった。当初は「大学で野球を続けるつもりはない」と考えていたが、甲子園での2勝がその後の野球人生を変えた。卒業後は一浪し、1年遅れで慶應義塾大学に進学。投球フォームも横手から上手に戻した。その後は岩手銀行(廃部)に入社し、都市対抗にも出場。引退後は母校の監督を務めた。現在は横浜都筑リトルシニアのコーチを務めている。

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(画像)「さわやか旋風」の立役者となった小綿(右)。甲子園での2勝がその後の野球人生を変えたという。

それから15年後の1988年夏、甲子園で再び「さわやか旋風」が吹き荒れるのだが、それはまた別のお話である。

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・特になし

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・『2018世代 いわて高校野球ファイル 2018 Iwate high school Baseball File』岩手日報社, 2018年, pp.75-82
・『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]13 東北編 青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島』ベースボール・マガジン社, 2010年, p.55
・『地域別高校野球シリーズ08 東北の高校野球Ⅱ[青森、岩手、秋田]』ベースボール・マガジン社, 2014年, p.21
・『激闘! 甲子園~グラウンドの表裏~ [栄光の陰に知られざる事実があった!]』桃園書房, 2006年, p.84
・『夏の甲子園 全試合記録BOOK 高校野球100回のメモリー』株式会社マガジンボックス, 2018年, p.126
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第55回高校野球選手権』朝日新聞社, 1973年, p.35
・『アサヒグラフ 9月7日号 第55回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1973年, p.36, p.76, p.91
・『週刊ベースボール 9月9日号増刊 第55回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1973年, pp.126-127, p.138, p.146, p.149
・『週刊ベースボール 11月10日号増刊 '73高校野球の健児たち』ベースボール・マガジン社, 1973年, pp.68-69
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第56回高校野球選手権』朝日新聞社, 1974年, p.136
・『日刊スポーツ』ひと夏限りのサイドスローが野球人生を変えた, 2015年,
https://www.nikkansports.com/baseball/column/tohoku-koshien100/news/1468337.html(最終閲覧日:2020年8月30日)
・『朝日新聞デジタル』抜群の制球、一球だけ乱れた 盛岡三の「さわやか旋風」, 2017年,
https://www.asahi.com/articles/ASKCH32WDKCHUJUB004.html(最終閲覧日:2020年8月30日)

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・ 1枚目:『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第56回高校野球選手権』朝日新聞社, 1974年, p.136
・ 2枚目:『地域別高校野球シリーズ08 東北の高校野球Ⅱ[青森、岩手、秋田]』ベースボール・マガジン社, 2014年, p.21
・ 3枚目:『2018世代 いわて高校野球ファイル 2018 Iwate high school Baseball File』岩手日報社, 2018年, p.77
・ 4枚目:『2018世代 いわて高校野球ファイル 2018 Iwate high school Baseball File』岩手日報社, 2018年, p.79
・ 5枚目:『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]13 東北編 青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島』ベースボール・マガジン社, 2010年, p.38
・ 6枚目:『週刊ベースボール 11月10日号増刊 '73高校野球の健児たち』ベースボール・マガジン社, 1973年, p.140


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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