20世紀の高校野球

旧:‡Azure‡のbaseball日記です。ブログの趣旨が変わってきたため、名前を変更して再出発することにしました。70年代〜90年代を中心に、野球選手・名勝負等を紹介していきます。オールドファンの方に満足して頂けるようなブログを目指して頑張りますので、応援よろしくお願い致します。

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野球選手

北国の「小さな大投手」、制球力と度胸で球場を沸かせた旭川龍谷のエース

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旭川龍谷のエース・向峯斉は164センチと小柄だったが、コントロールが良く、殆ど四球を出したことがなかった。打者のタイミングを外すのも上手く、カーブ、スライダーを内外角に散らし、打者が打ち気がないと判断した場合は真ん中に投げ込む。大胆不敵なピッチングであり、黙々と投げ続ける練習で絶妙のコントロールを身に付けた。2年夏の地区大会では9者連続三振。北大会決勝の北見工戦では8回に3点差を逆転し、甲子園出場を決めた。念願の初出場を勝ち取り、選手はもちろん、学校関係者の意気込みも凄かった。

初戦の相手は東洋大姫路だった。1回表、東洋大姫路は平井が中前打で出塁すると、藤田が中前打を放ち、1点を先制。3回にも3安打を集中し、1点を追加した。試合はワンサイドになるかと思われたが、向峯は返って気持ちが落ち着いたという。ボールが高めに入ることもなくなり、4回以降は東洋大姫路打線をわずか2安打に抑え込んだ。向峯の好投に打線も援護を送る。5回裏、鹿田がランニング本塁打を放つと、7回には曳地の3塁打などで2点を追加し、3-2で勝利。試合後、向峯はこう話した。

「味方の失策はゼロ。僕の投球も無四球だった。無欲の勝利でした」

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(画像)4回以降は東洋大姫路打線をわずか2安打に抑え込んだ向峯。打ち気を逸らす頭脳的な投球が冴え渡った。

3回戦の今治西戦でも向峯は好調だった。1球ごとにコースや球質、球速を変え、9回まで今治西打線をわずか3安打。一度も3塁を踏ませない好投を見せた。しかし、味方打線はエース・矢野隆司(のち亜細亜大→熊谷組)を攻略することができない。速球、落差のあるカーブに手こずり、9回までわずか3安打に抑え込まれた。両チーム無得点のまま、試合は延長戦に突入したが、10回に向峯は力尽きる。大上の遊安打、四球で2死1、2塁のピンチを招くと、続く大谷に3点本塁打を打たれ、0-3xで敗退となった。試合後、向峯はこう話した。

「投げた瞬間、打たれたと思った」

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(画像)10回裏、大谷にサヨナラ3点本塁打を浴びた向峯(奥)。敗戦投手となったが、頭脳的な配球、絶妙な制球力には安定感があった。

大会後、向峯は主将を任され、責任感が増した。昨年夏はボールが胸元から飛び出す変則投法で話題を集めたが、通常の横手投げに変更。外角に落ちるカーブも身に付けた。春の道大会では決勝で苫小牧工に1-4で敗退したが、準優勝を達成。夏の北大会では優勝候補筆頭だった。他校を全く寄せ付けず、全7試合で44得点。向峯をはじめ、投手陣の自責点は0だった。北大会では史上初の2年連続甲子園出場を果たし、向峯は「予選では打たれるという感じがしなかった。甲子園でも思い切っていく」と自信に満ち溢れていた。

初戦の相手は丸亀商(現・丸亀城西)だった。1回裏、旭川龍谷は宮向が四球で出塁。鹿田が3塁打を放ち、1点を先制したが、向峯の投球は冴えなかった。制球力が持ち味のはずが、この日は四死球を連発。さらに、松永の左越え3塁打などで2点を失ったが、ナインの「点は俺たちが取り返してやる。お前は投球に専念しろ」という言葉で落ち着きを取り戻した。5回裏、旭川龍谷は向峯の左越え2塁打などで1死1、2塁のチャンスを作ると、続く安藤が内野安打を放ち、1点を追加。さらに、鹿田が2塁打を放ち、2点を追加した。投げては向峯も5回以降は丸亀商打線をわずか1安打に抑え込み、4-2で勝利。北北海道代表が四国代表に勝利したのは史上初の快挙だった。試合後、向峯はこう話した。

「一人で抑えようとして、力んだりチビったりしてしまった。尻上がりに調子が出ました」

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(画像)ナインの励ましもあり、尻上がりに調子を上げた向峯(右)。北北海道代表が四国代表に勝利したのは史上初の快挙だった。

3回戦の相手は静岡商だった。エース・高橋三千丈(のち明治大→中日)は速球が武器であり、県大会ではコールド勝ちを含め、25イニング連続ノーヒットノーランを記録した。大会屈指の頭脳派投手である向峯、速球で三振の山を築き上げる高橋三。対照的な両エースの投げ合いに注目が集まったが、向峯は初回から静岡商打線に掴まった。2死から4連続長短打を浴び、3失点。肩に力が入り、球筋も素直になっていた。静岡商は以降も攻撃の手を緩めず、2回には四球、相手の失策などで1点を追加すると、3回には久保寺雄二(のち南海)、松本の安打で2点を追加した。向峯は3回途中でマウンドを高橋秀に譲ったが、代わった高橋秀も6回にダメ押しともいえる1点を奪われ、1-7で敗退。準々決勝進出の夢を断たれ、向峯の最後の夏は終わりを告げた。

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(画像)初回から静岡商打線に掴まった向峯。3回途中で降板となり、甲子園で初めて屈辱の姿を見せた。

「ここまで来るのが精一杯ですよ。この体では、とても大学やプロ野球では投げられない。本格的な野球を続けるためだけにでも、身長が欲しい」

向峯の嘆きは切実だった。投手にとって、低身長は致命的な弱点である。なぜなら、身長がない分球に力を入れるのに余計に体力を使うからだ。向峯は中学野球部の指導教師に勧められ、旭川龍谷の門を叩いたが、その頃から投手としての身長が不足していることに悩んでいた。それを補うため、バッティング投手を終えた後はランニングに精を出した。さらに、古タイヤを腰に付け、ひたすら下半身を鍛えあげた。この並外れた下半身が抜群の制球力を生み出していたのである。制球力と度胸で強打者たちをキリキリ舞いにさせ、磐城の田村隆寿(のち日本大→ヨークベニマル)、川越工の指田博(のち帝京大→鷺宮製作所)と並び、「小さな大投手」と称賛された。

卒業後、向峯は山陽国策パルプ(現・日本製紙)旭川工場に就職。現在は日本野球連盟北海道地区連盟の役員である。また、北北海道大会の解説者も務めている。

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(画像)164センチと小柄だった向峯。低身長ながらも強打者たちをキリキリ舞いにさせ、「小さな大投手」と称賛された。

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・特になし

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・『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]12 北海道編』ベースボール・マガジン社, 2010年, p.33
・『地域別高校野球シリーズ15 北海道の高校野球』ベースボール・マガジン社, 2014年, p.72
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第55回高校野球選手権』朝日新聞社, 1973年, p.32
・『アサヒグラフ 9月7日号 第55回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1973年, p.62, p.95
・『週刊ベースボール 9月9日号増刊 第55回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1973年, pp.60-61, p.143, p.150
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第56回高校野球選手権』朝日新聞社, 1974年, p.48
・『アサヒグラフ 9月6日号 第56回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1974年, p.30, p.51, pp.107-111
・『週刊ベースボール 9月8日号増刊 第56回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1974年, p.145, p.150
・『週刊朝日 7月15日号増刊 地方大会号 第61回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1979年, p.17

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・ 1枚目:『アサヒグラフ 9月6日号 第56回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1974年, p.107
・ 2枚目:『完全保存版 夏の甲子園100回 47都道府県別 故郷のヒーロー』朝日新聞社, 2018年, p.19
・ 3枚目:『アサヒグラフ 9月7日号 第55回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1973年, p.95
・ 4枚目:『週刊ベースボール 9月8日号増刊 第56回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1974年, p.92
・ 5枚目:『地域別高校野球シリーズ15 北海道の高校野球』ベースボール・マガジン社, 2014年, p.72
・ 6枚目:『アサヒグラフ 9月6日号 第56回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1974年, p.30


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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四国大会0勝のチームが快進撃、頭脳派投球で観客を魅了した西条のエース

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西条のエース・黒子孝善はリトルリーグ時代から活躍。軟式では県大会優勝、四国大会では3位の実績を残し、「右の怪腕」として四国中に名を知られていた。174センチと小柄だが、直球は打者の手元で伸び、落差のあるカーブの切れも抜群だった。2年夏は勝ち星に恵まれなかったが、森田始監督の指導でようやく才能が開花。秋の県大会初戦の松山商戦ではエース・酒井光次郎(のち近畿大→日本ハム→阪神)と投げ合い、4-3で勝利。酒井は昨年夏の甲子園で2試合連続完封勝利を収めるなど、ベスト8入りの立役者だった。その酒井に投げ勝った自信は大きく、準々決勝で川之江を4-3で下すと、準決勝では新居浜商に3-0で勝利。決勝で八幡浜に延長15回の末、4-5xで敗退したが、42イニングを投げ、自責点は0。四国大会進出を決めたが、初戦で明徳義塾に1-3で敗退。翌春の選抜出場は絶望的となってしまった。

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(画像)「右の怪腕」として四国中に名を知られていた黒子。174センチと小柄だが、直球は打者の手元で伸び、落差のあるカーブの切れも抜群だった。

四国大会で優勝を達成したのは明徳義塾だったが、野球部の副部長が売春を斡旋したという前代未聞の事件で、まさかの推薦辞退。代わって選ばれたのが西条だった。西条は初戦敗退だったが、黒子の好投と地域性で最後の枠に滑り込んだ。突然の朗報に黒子はこう話した。

「甲子園に行かれるなんて、夢にも思っていなかったです」

選抜に向け、黒子は徐々にエンジンをかけ始めていった。冬場は走り込みとウエイトトレーニングで下半身を鍛え直し、スタミナが付いた。また、ピッチングにも幅が出るようになり、配球が単調になることもなくなった。

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(画像)明徳義塾の推薦辞退もあり、逆転で選抜出場校に選ばれた西条。ちなみに、黒子の噂を聞きつけた池田の蔦文也監督からは練習試合も申し込まれていたという。

初戦の相手は東邦だった。1回表、西条は白石が内野安打で出塁すると、松本が左前打を放ち、1点を先制。2回には斉藤が四球を選ぶと、矢野が中前打を放ち、1点を追加した。投げては黒子が常にストライクを先行させ、伸びの良い直球、外角のカーブで相手打者を翻弄。9回に田中大次郎(のち東海大→トヨタ自動車)に左翼ラッキーゾーンにソロ本塁打を打たれたが、東邦打線を4安打1失点に抑え込んだ。7回を除く毎回の11三振を奪い、2-1で勝利。試合後、黒子はこう話した。

「9回に本塁打を打たれなければ100点満点。あれを差し引いても98点。自分でもびっくりしました。大舞台でこんなに投げられるなんて信じられません」

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(画像)伸びの良い直球、外角のカーブで相手打者を手玉に取った黒子。7回を除く毎回の11三振を奪った。

2回戦の松商学園戦では苦しい試合となった。黒子は中盤に入ってからは肩が張り、球威も失われていたが、粘りの投球で大量失点は許さなかった。3回表、西条は白石、佐伯の連続安打で1点を先制。5回には黒子が自らのバットで左翼ラッキーゾーンにソロ本塁打を放ち、1点を追加した。9回裏、松商学園は無死から川村正太郎(のち日本ハム)が3塁打で出塁したが、ここで黒子が見事な踏ん張りを見せる。

「ストレートはダメと思っていました。タイミングが合ってきてましたから。カーブで打ち気を逸らす場面と思いました」

こういう場面で打ち気満々の打者は直球に的を絞っている可能性が高い。黒子は打者との駆け引きも上手かった。低めのカーブで小林を2飛に打ち取ると、続くエース・直江晃(のち富士重工)を三振。内田にはカーブで追い込むと、「昨年秋に覚えた」というシュートで三振に打ち取り、完全に裏をかいた。2-1で準々決勝進出を決め、黒子は投打にわたって活躍。試合後、黒子はこう話した。

「ホームランは最高です。最終回のピンチは弱気になったらダメだと思って、何が何でもという気持ちでした」

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(画像)9安打を浴びながらも要所を締めた黒子。打っては5回に決勝のソロ本塁打を放つなど、投打にわたって活躍した。


(動画)YouTubeより。

準々決勝の伊野商戦は四国同士の対決となった。エース・渡辺智男(のちNTT四国→西武→ダイエー→西武)は腕の振りが大きく、直球とカーブの切れは絶妙だった。この試合には5万人もの観客が球場に詰めかけ、その大歓声に黒子は呑まれてしまう。1回表、伊野商は1死1塁で山本の打球は高くバウンド。黒子は打球を処理しようとしたが、これを悪送球した。

「あの時はボールがなかなか落ちて来なくて…。スタンドの観客が目に飛び込んで…。何をしているのか分かりませんでした」

2点を失うと、その後も極度の緊張感でボールが高めに浮いた。カーブを狙い打ちされ、4回には福本淳、笹岡の連続安打などで3失点。味方打線も渡辺から7安打を放ったが、あと1本が出ず、0-5で敗退となった。試合後、黒子はこう話した。

「点数を付けると半分以下。こんなに疲れたゲームはない。甲子園のマウンドは最高。もう一度来ます」

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(画像)スタンドの大歓声に呑まれてしまった黒子。それでも好投手と互角に投げ合った。


(動画)YouTubeより。

四国大会では1勝もできなかったが、明徳義塾の推薦辞退もあり、黒子の好投と地域性で最後の枠に滑り込んだ。四国大会で0勝のチームが選抜代表校になるのは異例のことだった。小柄だったが、黒子はこの体のなさを走り込みとウエイトトレーニングでカバー。この努力が甲子園で報われた。初戦の東邦戦では低めを丁寧に突く投球で4安打1失点。2回戦の松商学園戦では粘りの投球でピンチを脱すると、打っては5回に決勝のソロ本塁打を放ち、投打にわたって活躍。2試合連続1点差の攻防を制し、ベスト8入りの立役者となった。少々のことでは動じない勝負強さ、打者の読みを外して揺さぶる頭脳的な投球で下馬評を次々と覆し、黒子から一転、表舞台の主役となった。

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(画像)ベスト8入りの立役者となった黒子。下馬評を次々と覆し、甲子園で「黒子旋風」を巻き起こした。

▼黒子の投球内容まとめ

(動画)YouTubeより。

すぐに夏に向けての練習が始まった。春の県大会では代表決定戦で松山商に1-10で敗退。それでも夏の県大会では優勝候補に名を連ね、準々決勝で弓削を13-1で下すと、準決勝では松山商を5-0で下し、難敵を突破。春夏連続甲子園出場も確実かと思われたが、決勝の川之江戦で黒子はめった打ちにされた。2本塁打を含む全員安打の17安打を浴び、3-9で敗退。甲子園出場の夢を断たれ、黒子の最後の夏は終わりを告げた。

卒業後、黒子は亜細亜大学に進学したが、目立った活躍はできなかった。現在は西条少年野球団のコーチを務めている。

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(画像)「藤田2世」と呼ばれた黒子。打者の読みを外して揺さぶる頭脳的な投球で観客を魅了した。

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・特になし

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・『別冊週刊ベースボール冬季号 1985高校野球』ベースボール・マガジン社, 1985年, p.89
・『ホームラン '85センバツ出場校はここだ!』日本スポーツ出版社, 1985年, p.93
・『サンデー毎日臨時増刊 3月23日 第57回選抜高校野球大会号』毎日新聞社, 1985年, pp.155-156
・『別冊週刊ベースボール春季号 第57回選抜高校野球大会総ガイド』ベースボール・マガジン社, 1985年, pp.134-135
・『輝け甲子園の星 1985 No.1 早春号★第57回センバツ展望特集』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.93
・『ホームラン 第57回センバツ高校野球 ワイド特集 出場32校の戦力を徹底分析 '85センバツを推理する!』日本スポーツ出版社, 1985年, p.97
・『報知高校野球 大特集◉'85センバツ出場校完全ガイド』報知新聞社, 1985年, p.96
・『毎日グラフ 4月14・21日号 燃える甲子園 総集編』毎日新聞社, 1985年, p.41, p.67, p.80, p.83
・『別冊週刊ベースボール陽春号 第57回選抜高校野球大会決算号』ベースボール・マガジン社, 1985年, p.48, p.77, p.92, p.111, pp.127-128
・『輝け甲子園の星 1985 No.2 ★第57回センバツ大会★卒業球児情報』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.19, p.28, p.36
・『ホームラン '85センバツ大会 第57回大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1985年, p.11, p.76, p.98
・『報知高校野球 '85センバツ速報◉伊野商、初出場初優勝』報知新聞社, 1985年, p.62, p.75, p.81
・『'85春★甲子園の恋人たち ★人気ヒーローいい顔写真集 夏へのとっておき版』学研, 1985年, p.81
・『輝け甲子園の星 1985 No.4 夏季号★思い出甲子園1982-1985』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.125
・『ホームラン 熱球!甲子園 '85全国高校野球地区予選展望号』日本スポーツ出版社, 1985年, p.102
・『週刊朝日 8月15日号増刊 '85甲子園大会号』朝日新聞社, 1985年, p.179
・『高校野球百科事典』高校野球 年度別 選抜選考経過 1985年(昭60年)第57回大会, http://koushien.s100.xrea.com/senkoukeika/85.htm(最終閲覧日:2020年11月14日)

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・ 1枚目:『輝け甲子園の星 1985 No.3 アイドルスペシャル★'85センバツ』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.32
・ 2枚目:『報知高校野球 '85センバツ速報◉伊野商、初出場初優勝』報知新聞社, 1985年, p.88
・ 3枚目:『輝け甲子園の星 1985 No.3 アイドルスペシャル★'85センバツ』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.49
・ 4枚目:『毎日グラフ 4月14・21日号 燃える甲子園 総集編』毎日新聞社, 1985年, p.41
・ 5枚目:『輝け甲子園の星 1985 No.3 アイドルスペシャル★'85センバツ』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.49
・ 6枚目:『ニコニコ動画』【豪腕 対 怪腕】1985年選抜 伊野商 × 西条【伝説の四国決戦】, 2009年,
https://www.nicovideo.jp/watch/sm8066575
・ 7枚目:『報知高校野球 '85センバツ速報◉伊野商、初出場初優勝』報知新聞社, 1985年, p.31
・ 8枚目:『YouTube』第57回センバツ 松商学園vs西条, 2020年,
https://www.youtube.com/watch?v=2iyFz9GU5X4


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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夏の甲子園史上初のサヨナラ満塁本塁打、仲間の信頼に応えた大鉄の右翼手

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大鉄(現・阪南大高)の右翼手・川端正は「大阪私学7強」に進学することを決めていたが、自身の学力と照らし合わせ、名門・大鉄の門を叩いた。上級生と練習する際に、川端は校外に飛び出す打球を拾い、週末は打撃練習。そこで網智監督に認められ、2年秋にはレギュラーとなった。鍜治本、エース・前田友行(のち阪神)、南口とともにクリーンアップを任され、右翼へ豪快な長打を飛ばすパンチ力だけでなく、左翼への巧みな流し打ちなど、技術力にも長けていた。府大会では決勝で浪商(現・大体大浪商)を4-2で下し、優勝を達成。近畿大会では準々決勝で滝川に3-6で敗退したが、翌春の選抜出場を確実にした。

秋の府大会、近畿大会では1番だった鍜治本を3番にした空席に川端が入った。初戦の相手は銚子商だった。2回表、大鉄は相手の失策などで無死1、3塁のチャンスを作ると、平山が左前打を放ち、1点を先制。川端も犠飛を放ち、1点を追加したが、3回に銚子商が反撃を開始する。斎藤が相手の失策で出塁。飯塚が四球を選ぶと、続く尾上旭(のち中央大→中日→近鉄)が左翼ラッキーゾーンに3点本塁打を放った。9回表、大鉄は2死2、3塁で川端が自らのバットで中越え2塁打を放ち、2点差に詰め寄ったが、続く浜口が1邪飛に打ち取られ、4-6で敗退となった。

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(画像)この日の川端の成績は4打数2安打2打点。9回にはチャンスで2塁打を放つなど、抜群の打撃センスを見せた。


(動画)YouTubeより。1/5~5/5まであります。

すぐに夏に向けての練習が始まった。川端は「誰にも負けてはいない」と確信できるほどバットを振り、打力向上に努めた。持ち前の強力打線は爆発力を増し、夏の府大会では早くから優勝候補の呼び声が高かった。初戦の鳳戦では苦しい試合となったが、4-2で勝利。決勝で北陽(現・関大北陽)を6-2で下し、春夏連続甲子園出場を決めた。鍜治本をはじめ、川端、前田、天羽のクリーンアップは打球の速さが高校生離れしており、チーム打点38のうち、20点を叩き出すなど、チャンスにも強かった。

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(画像)春から夏にかけ、打力向上に努めた川端。打球の速さは高校生離れしていた。

初戦の相手は土岐商だった。1回表、大鉄は鍜治本、浜口が連続安打で出塁。続く川端が四球を選ぶと、前田の左前打、平山の中前打で3点を先制。2回には川端が自らのバットで左越え3塁打を放ち、1点を追加した。しかし、3回に土岐商が反撃を開始する。渡辺が右越え2塁打で出塁。広田のスクイズで1点を返すと、3回にも無死1、3塁で安藤がスクイズ。さらに、志水の中前打、渡辺のスクイズで1点差にまで詰め寄った。4回裏、大鉄は鍜治本の2塁打を皮切りに、1点を追加。8回にも浜口、川端の連続安打などでダメ押しともいえる3点を追加した。投げては4回からマウンドに上がった浜口が土岐商打線をわずか1安打に抑え込み、8-4で勝利。川端は3打数2安打2打点の活躍だった。

2回戦の酒田工(現・酒田光陵)戦では前田が毎回16奪三振の好投。味方打線も12安打を放ったが、川端は5打数1安打とバッティングは冴えなかった。

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(画像)初戦の土岐商戦では3打数2安打2打点と活躍した川端だったが、2回戦の酒田工戦では5打数1安打とバッティングは冴えなかった。

3回戦の津久見戦では両チームで計34安打、16点の打撃戦となった。1回裏、大鉄は鍜治本のソロ本塁打を含む4連続安打で2点を先制。2回表、津久見は野上が2塁打で出塁。1死後、中川が中越え2塁打を放ち、2-2の同点に追い付いた。その裏、大鉄は川端の中前打などで1点を追加すると、4回には3連続安打で1点を追加。5回、6回にも1点を追加したが、津久見も粘る。5回に相手の失策、野上の3塁打で4-4の同点に追い付くと、2点リードされ迎えた8回には中津留が四球で出塁。古田が中前打を放ち、1死満塁のチャンスを作ると、続く山本が中前打を放ち、6-6の同点に追い付いた。11回裏、大鉄は井脇が左前打で出塁。続く鍜治本は敬遠されたが、浜口が中前打を放つと、ここで打席には川端が入る。

「一気に勝負を付ける」

配球はストライク、ボール、ボール、ファウル。その時点で、川端はカーブに的を絞っていた。その狙っていた球が5球目、内角高めのカーブだった。一度のチャンスに川端は思い切りバットを振った。川端の打球は右翼手の頭上を越えていき、ラッキーゾーンに吸い込まれるように落ちていった。夏の甲子園史上初のサヨナラ満塁本塁打となり、川端は喜びを噛み締めながらダイヤモンドを1周。10x-6で準々決勝進出を決めた。試合後、川端はこう話した。

「インコース高めのカーブでした。絶好球でした。思い切って引っ張りました。1塁ベースを回った時に、入ったのが見えました。今年ホームランを打ったのはこれが初めてです」

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(画像)夏の甲子園史上初のサヨナラ満塁本塁打を放った川端。エース・星野正一(のち協和発酵防府)の高めに入ったカーブを強振した。

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(画像)井脇、鍜治本、浜口に続き、サヨナラの本塁を踏んだ川端(中央)。7打数5安打5打点で勝利の立役者となった。

準々決勝の高知戦では川端は4打数無安打に終わったが、前田が投打にわたって活躍し、2-1で勝利。準決勝の相手は東邦だった。5回表、大鉄は1死満塁で川端が自らのバットで中前打を放ち、1-1の同点に追い付くと、続く前田も犠飛を放ち、1点を追加。7回にも鍜治本がソロ本塁打を放ち、1点を追加したが、前田が終盤に東邦打線に掴まり、3-5で敗退。決勝進出の夢を断たれ、川端の最後の夏は終わりを告げた。

9年前、働き盛りだった父が心筋梗塞で倒れ、34歳の若さで他界。川端が野球を始めたのは野球好きの父の影響だった。小学3年生で父を亡くし、川端の心にはポッカリと穴が空いたが、母の励ましもあり、中学に進学してからも野球を続けた。さらに、「左打者ほど有利なのはない。甲子園に出たいのなら左打者になれ」という父の言葉を思い出し、右打ちから左打ちに転向。バットを振り続ける日々が続いた。運動量の少ない中学の野球部までなら小柄な川端でも耐えることはできる。ところが、大鉄に進学し、密度の濃い練習に耐え切れないことが多くなった。息を切らし、執念だけでボールを追い続ける川端を見て、網監督は退部勧告を出した。しかし、川端は母と一緒に面会を求め、網監督は無理をしないことを条件に川端を野球部に残すことを決めた。2年秋に3番打者の座を獲得し、3回戦の津久見戦では夏の甲子園史上初のサヨナラ満塁本塁打も放った。それは同時に、女手一つで育ててくれた母への恩返しでもあった。

大会後、川端はあすなろ国体に出場。初戦で早稲田実に0-2で敗退したが、他校の選手たちと親睦を深めていった。卒業後は熊谷組(廃部)に入社。4年間プレーを続け、現在は兄との会社経営の傍ら、EVISUボアーズで野球を続けている。

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(画像)仲間の信頼に一振りで応えた川端。夏の甲子園史上初のサヨナラ満塁本塁打で劇的なドラマを演じた。

☆総訪問者数2万人突破☆
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開設から約10ヶ月で総訪問者数が2万人を突破しました。前回は8月に1万人を突破しましたので、そこから計算すると約3ヶ月で1万人の方が訪問してくださったということになります。これからも運営頑張りますので、応援よろしくお願い致します。目標は旧旧ブログの12万人を突破することです。管理人の想像ですが、2万人のうちの6割~7割が50代以上の方ではないでしょうか。

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・坂本佳一(野球選手)

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・『不滅の高校野球・下 栄光と感激のあと 昭和38年ー昭和54年』松尾俊治, ベースボール・マガジン社, 1984年, p.318
・『地域別高校野球シリーズ02 大阪の高校野球』ベースボール・マガジン社, 2013年, p.77
・『夏の甲子園 全試合記録BOOK 高校野球100回のメモリー』株式会社マガジンボックス, 2018年, p.143
・『サンデー毎日臨時増刊 3月25日 第49回選抜高校野球号』毎日新聞社, 1977年, p.77
・『<別冊週刊ベースボール春季号> 第49回全国選抜高校野球大会展望』ベースボール・マガジン社, 1977年, p.103
・『毎日グラフ 4月20日号 球春激突! 燃える甲子園』毎日新聞社, 1977年, p.61
・『<別冊週刊ベースボール春季号> 春の甲子園/熱球讃歌』ベースボール・マガジン社, 1977年, p.70
・『ゴング5月号増刊 学生野球2 センバツ総集・大学野球開幕号』日本スポーツ出版社, 1977年, p.43
・『週刊ベースボール 7月17日号増刊 第59回全国高校野球予選展望号』ベースボール・マガジン社, 1977年, p.126
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第59回高校野球選手権』朝日新聞社, 1977年, p.52
・『アサヒグラフ 9月2日号 第59回高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1977年, p.28, p.58, p.79, p.87, p.101
・『週刊ベースボール 9月10日号増刊 第59回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1977年, pp.54-56, pp.60-61, pp.72-73, p.169, p.184, p.192, p.195, p.199
・『甲子園大会 1977 第59回全国高等学校野球選手権大会』ベースボール・マガジン社, 1977年, p.40, p.72, p.100, p.114, p.140
・『輝け甲子園の星 第59回全国高校野球選手権大会』日刊スポーツ出版社, 1977年, p.27, p.33, p.38, p.41, p.51, p.122
・『月刊野球党9月号 第59回高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1977年, p.10, p.18, p.28, p.60, p.85, p.104, pp.132-133
・『輝け甲子園の星特別号 思い出甲子園1975-1979』日刊スポーツ出版社, 1979年, p.77
・『輝け甲子園の星 10周年記念特別編集 夏空のヒーロー10年』日刊スポーツ出版社, 1984年, p.102
・『日刊スポーツ』大鉄・川端 夏唯一のサヨナラ満塁弾/大阪3, 2017年,
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201807250000433.html(最終閲覧日:2020年11月8日)

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・ 1枚目:『月刊野球党9月号 第59回高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1977年, p.28
・ 2枚目:『YouTube』第49回選抜高校野球大会 1回戦 銚子商 対 大鉄 4/5, 2020年,
https://www.youtube.com/watch?v=56dYTjog6dA
・ 3枚目:『月刊野球党9月号 第59回高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1977年, p.28
・ 4枚目:『週刊ベースボール 9月10日号増刊 第59回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1977年, p.244
・ 5枚目:『アサヒグラフ 9月2日号 第59回高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1977年, p.79
・ 6枚目:『思い出甲子園 豪打を刻んだアーチストたち』日刊スポーツ出版社, 2007年, p.3
・ 7枚目:『輝け甲子園の星 第59回全国高校野球選手権大会』日刊スポーツ出版社, 1977年, p.122


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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伝統校の歴史を変えた準優勝、下馬評を次々と覆した水戸商のエース

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水戸商のエース・三橋孝裕は下手から投じるカーブ、スライダー、シンカーが武器であり、抜群のコントロールを誇っていた。2年秋から腕の位置をサイドに変え、球威、制球力ともに向上。180センチと長身であり、周囲からは「勿体ない」という声も上がったが、三橋には下手が最も投げやすかった。県大会決勝の藤代戦が公式戦初先発となったが、110キロ台の直球、緩いカーブで相手打者を手玉に取り、強打の藤代打線を5安打完封で下した。関東大会初戦の東農大三戦では延長13回を投げ、4-1で勝利を収めたが、準々決勝で横浜に0-2で敗退。当落線上ギリギリとなったが、地域性の関係もあり、翌春の選抜に出場することが決定した。

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(画像)多彩な変化球で相手打者を惑わせた三橋。関東大会準々決勝で横浜に0-2で敗退し、当落線上ギリギリとなったが、翌春の選抜に出場することが決定した。

滑り込みで選抜出場校に選ばれたため、下馬評は高くなかったが、その声が三橋の闘志に火を付ける。初戦の岩国戦では110キロ台の直球、緩いカーブで相手打者を翻弄。岩国打線を5安打2失点に抑え込んだ。味方打線も2回に小林のソロ本塁打、助川の中前打などで3点を先制すると、6回にも1死3塁で三橋がスクイズを決め、ダメ押しともいえる1点を追加。全員安打の13安打を放ち、4-2で勝利を収めた。試合後、三橋はこう話した。

「自分のピッチングができました」

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(画像)緩急を付けた投球で相手打者を手玉に取った三橋。母校に選抜初勝利をもたらした。

2回戦の相手は日大三戦だった。日大三は鋭くコンパクトに振り抜く打法を徹底しており、チーム打率は.388。猛打で勝ち上がってきたが、三橋は冷静だった。直球、緩いカーブを武器に相手打者を打ち取り、4安打完封。一度も3塁を踏ませることなく、わずか95球の「省エネ投法」だった。打っては4打数2安打2打点と投打にわたって活躍。3-0で準々決勝進出を決めた。試合後、三橋はこう話した。

「相手は強力打線なので、低めに集めることだけを考えました。監督に5点くらいやっても良いと言われましたけど、ピンチでも落ち着くことができたし、余裕がありました」

準々決勝の三重海星戦は苦しい試合となった。三橋は制球が定まらず、2回までに2失点。味方打線もエース・岡本篤志(のち明治大→西武)の変化球に手こずったが、6回に川上が中前打で出塁。小林の右前打、倉持の2塁打で3-3の同点に追い付くと、三橋が自らのバットで中前打を放ち、1点を追加した。これで三橋の投球はますます冴え渡る。3回以降は持ち前の緩急を生かした投球を披露。9回に1点を失ったが、4-3で準決勝進出を決めた。試合後、三橋はこう話した。

「1勝するのが目標だったのに…。ベスト4まで来るなんて。甲子園で3試合を投げて精神的にも成長した。自信が付いた」

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(画像)持ち前の緩急を生かした投球で三重海星打線を7安打3失点に抑え込んだ三橋。打っては6回に逆転の中前打を放つなど、投打にわたって活躍した。


(動画)YouTubeより。

準決勝の今治西戦でも三橋は立ち上がりを攻められ、4回までに3点を失ったが、打線が三橋を盛り立てる。5回に四死球の走者を生かし、相手の失策などで4得点を挙げると、7回には小林、倉持の連続安打で2点を追加。8回にも5長短打で4点を追加し、11-3で勝利。チーム初の決勝進出を決めた。試合後、三橋はこう話した。

「甲子園の決勝なんて夢の舞台ですから。でも、ここまで来たからには勝ちたいし、勝てると思う」

しかし、三橋は連投の疲れもあり、肩や肘は既に悲鳴を上げていた。準々決勝の三重海星戦では股関節に打球を当て、大会期間中には風邪もこじらせていた。橋本實監督は三橋の体を心配し、「大丈夫か」と何度も尋ねたが、三橋の答えはいつも一つだった。

「大丈夫です。行かせてください」

三橋は決勝の沖縄尚学戦でもマウンドに立ったが、球威は失われ、制球力も今一つだった。2回に比嘉寿光(のち早稲田大→広島)の左越え2塁打などで2失点。その後も沖縄尚学の強力打線が三橋を襲った。5回に荷川取に犠飛を打たれると、6回には新垣の3塁打などで1失点。さらに、7回には浜田に2点本塁打を打たれ、三橋はマウンドを降りた。三橋にとって、この本塁打が高校生になってから初めて打たれた本塁打となった。味方打線も2回に石田の左前打などで2点を先制したが、以降は照屋正悟(のち東京農大)に完璧に抑え込まれ、2-7で敗退。惜しくも優勝はならなかったが、三橋はすぐに晴れやかな笑顔を浮かべ、こう話した。

「決勝で勝つ力はまだなかったということ。でも、ここまで来られただけで得たものは大きかった」

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(画像)故障を押して決勝のマウンドに立った三橋(左)。気力だけで投げ続けた。


(動画)YouTubeより。

厳しい練習が嫌で野球を辞めようと考えたこともあった三橋。橋本監督のアドバイスで下手投げに転向してからは見違えるようなピッチングを見せた。関東大会では準々決勝で横浜に0-2で敗退したが、滑り込みで選抜出場校に選ばれ、下馬評を次々と覆す快進撃を見せた。本格派と言われた注目投手が次々と敗れる中、全くの無名投手だった三橋が決勝まで勝ち進んだ。惜しくも優勝には手が届かなかったが、三橋の右腕が準優勝の原動力になったのは間違いなかった。

すぐに夏に向けての練習が始まった。三橋は春の県大会では2試合に登板。決勝で鉾田一を2-0で下すと、2回戦の宇都宮学園(現・文星芸大付)戦では粘りの投球で要所を締め、3-2で勝利。準々決勝で桐生第一に0-6で敗退したが、夏の県大会では優勝候補筆頭だった。準々決勝の科技学園日立戦では2点リードされ迎えた6回裏、無死1、3塁で小林が3点本塁打を放ち、4-2で勝利。準決勝の竜ヶ崎一戦では三橋が牽制を決めるなど、相手の機動力野球を封じ込み、4-0で勝利。決勝の土浦三戦では12安打を浴びたが、粘りの投球で後続を断ち、6-5で春夏連続甲子園出場を決めた。

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(画像)選抜大会で準優勝した経験を自信に、県大会を勝ち抜いた三橋。決勝で土浦三を6-5で下し、春夏連続甲子園出場を決めた。

初戦の相手は浜田だったが、マウンド上で三橋は「研究されている」と感じた。直球を弾き返され、緩い変化球も狙い打ちされた。初回に5安打を集中され、4点を失ったが、味方打線が奮起する。5回表、武田、助川の連続2塁打などで3点を返すと、6回には5連続安打で6点を追加。全員安打の20安打、大会タイ記録の8二塁打を放ち、15-5で勝利を収めた。試合後、三橋はこう話した。

「やっぱり夏は雰囲気が違います。選抜の時より緊張しました。初回に4点も取られてヤバイなって。それだけに打って返したかったんです」

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(画像)初回に4点を失った三橋だったが、以降は尻上がりに調子を上げ、浜田打線を5安打1失点に抑え込んだ。

3回戦の相手は岡山理大付だった。三橋は腰痛を抱えての登板となり、制球が定まらなかった。そこを岡山理大付打線に付け込まれ、2回に葛城、エース・早藤祐介(のち三菱自動車水島)の連続安打で1失点。7回には森田和也(のち近畿大工学部)に左翼スタンドまで運ばれ、推定飛距離は140メートル。これはPL学園の清原和博(のち西武→巨人→オリックス)以来であり、高校野球球史に残る一発となった。三橋は「あれだけ綺麗に飛ばされたのは初めて」と「吉備のドカベン」パワーには脱帽するしかなかった。9回表、水戸商は2死2塁で打席に入ったのは三橋。この時、三橋の頭には様々な思いがよぎっていた。「最後の打者になりたくない」と三橋は思い切りバットを振ったが、無情にも打球は1塁手のグラブに収まり、0-6で敗退。準々決勝進出の夢を断たれ、三橋の最後の夏は終わりを告げた。

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(画像)9回表、2死2塁で打席に入った三橋だったが、1飛に打ち取られ、最後の打者となってしまった。


(動画)YouTubeより。

試合終了の瞬間、最後の打者となった三橋は緊張の糸が切れたかのように崩れ落ちた。腰痛を抱えながらの登板だったが、「それは関係ないです」と言い訳はしなかった。「選抜準優勝」というプレッシャーはあったが、春夏連続甲園出場。それは三橋の精神的成長の証明でもあった。初戦の浜田戦では10安打5失点。橋本監督は「芯で捉えられた打球は1本だけ。野手が風を計算に入れた守備位置を取っていれば、防げた失点でした」と話したが、各チームの戦力が向上する夏に、三橋が春ほどの結果を残せないのは覚悟していた。だからこそ、春から夏にかけ、打線の底上げを図り、ディフェンス力も強化した。初戦は味方打線が全員安打の20安打を放ち、三橋を援護してきたが、3回戦の岡山理大付戦ではそれが通用しなかった。「水戸商野球」を再現することはできなかったが、三橋は「悔しいけど、自分の力は出し切ったと思います」と甲子園を去っていった。

卒業後、三橋はJR東日本に入社。その後はJR水戸でプレーを続け、現在もマネージャーとしてチームを支え続けている。また、NHK水戸の解説者としても親しまれている。

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(画像)滑り込みで選抜出場校に選ばれながらも準優勝の立役者となった三橋。最近では少なくなった下手投げが、新鮮な驚きを高校野球ファンに与えた。

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・比嘉公也(野球選手)
・早藤祐介(野球選手)
・森田和也(野球選手)

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・『熱闘!! 甲子園夢伝説 ビッグ・ヒーロー&ゲーム1956~2002』学研, 2002年, pp.148-149
・『サンデー毎日臨時増刊 3月27日 第71回大会 選抜高校野球大会号』毎日新聞社, 1999年, p.46
・『別冊週刊ベースボール春季号 第71回 選抜高校野球大会完全ガイド』ベースボール・マガジン社, 1999年, pp.74-75
・『輝け甲子園の星 '99早春号』日刊スポーツ出版社, 1999年, pp.34-35
・『報知高校野球 一目でわかる!'99センバツ32代表校の完全データ』報知新聞社, 1999年, p.62
・『別冊週刊ベースボール陽春号 第71回選抜高校野球大会決算号』ベースボール・マガジン社, 1999年, pp.7-8, p.13, p.15, pp.54-55, pp.76-77, pp.88-89
・『輝け甲子園の星 センバツ'99 大会速報』日刊スポーツ出版社, 1999年, p.6, p.9, p.14, p.31, p.38, p.88
・『報知高校野球 ['99センバツ速報] 沖縄尚学優勝!沖縄に悲願の初大旗』報知新聞社, 1999年, p.7, p.11, p.17, p.27, p.36, pp.63-64
・『週刊ベースボール 7月3日号増刊 第81回全国高校野球選手権大会予選展望号』ベースボール・マガジン社, 1999年, p.110
・『輝け甲子園の星 '99夏季号』日刊スポーツ出版社, 1999年, p.39, p.54
・『週刊朝日 8月15日号増刊 '99甲子園大会号』朝日新聞社, 1999年, pp.30-31
・『アサヒグラフ増刊 9月1日号 '99甲子園の夏 第81回全国高校野球選手権大会完全記録』朝日新聞社, 1999年, p.79, p.114
・『週刊ベースボール 9月4日号増刊 第81回全国高校野球選手権大会総決算号』ベースボール・マガジン社, 1999年, p.95, p.114, p.164
・『輝け甲子園の星 '99大会号』日刊スポーツ出版社, 1999年, p.36, p.56, p.128
・『ホームラン 9+10月号 '99甲子園・決戦速報号』日本スポーツ出版社, 1999年, p.82, p.89
・『報知高校野球 ['99選手権大会] 桐生第一!歓喜、感動の初優勝』報知新聞社, 1999年, p.41, p.55
・『輝け甲子園の星 '99秋季号』日刊スポーツ出版社, 1999年, p.41

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・ 1枚目:『週刊朝日 8月15日号増刊 '99甲子園大会号』朝日新聞社, 1999年, p.6
・ 2枚目:『輝け甲子園の星 '99早春号』日刊スポーツ出版社, 1999年, p.14
・ 3枚目:『輝け甲子園の星 センバツ'99 大会速報』日刊スポーツ出版社, 1999年, p.15
・ 4枚目:『報知高校野球 ['99センバツ速報] 沖縄尚学優勝!沖縄に悲願の初大旗』報知新聞社, 1999年, p.13
・ 5枚目:『別冊週刊ベースボール陽春号 第71回選抜高校野球大会決算号』ベースボール・マガジン社, 1999年, p.8
・ 6枚目:『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]8 関東編Ⅰ 茨城・千葉』ベースボール・マガジン社, 2009年, p.38
・ 7枚目:『輝け甲子園の星 '99大会号』日刊スポーツ出版社, 1999年, p.85
・ 8枚目:『アサヒグラフ増刊 9月1日号 '99甲子園の夏 第81回全国高校野球選手権大会完全記録』朝日新聞社, 1999年, p.79
・ 9枚目:『YouTube』1999 第81回 熱闘甲子園 岡山理大VS水戸商, 2016年,
https://www.youtube.com/watch?v=NL5AoDkwd8g


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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道勢史上初の快挙達成、「北国旋風」を巻き起こした札幌商・旭川大高のエース

今回の野球選手記事はいつもと少しパターンが異なります。構成かなり悩みました…。少し長いですが、どうぞ最後までお付き合いください。

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札幌商(現・北海学園札幌)のエース・金山英司(左)はスローカーブが武器であった。2年夏は控え投手だったが、エース・鈴木忠仁(のち新日鉄室蘭)との「2枚看板」である。鈴木は代表決定戦の北海戦で肘を痛めたが、金山が見事代役を果たした。40イニングを投げ、被安打31だったが、失点はわずか6。尻上がりに調子を上げ、準々決勝で蘭越を完封で下すと、準決勝の室蘭大谷(現・大谷室蘭)戦は6-5で勝利。決勝で東海大四(現・東海大札幌)を4-0で下し、甲子園への切符を掴んだ。

甲子園入りしてからは鈴木が肘痛から回復。初戦の相手は箕島だったが、初回から鈴木が打ち込まれ、10安打7失点。5回途中からは金山がマウンドに上がった。金山は嶋田宗彦(のち住友金属→阪神)に2塁打を打たれ、2死2、3塁のピンチを招いたが、宮本貴美久(のち近畿大)を遊ゴロに打ち取り、無失点で切り抜けた。しかし、味方打線はエース・石井毅(のち住友金属→西武)を攻略することができず、わずか3安打に抑え込まれた。6回に2死から山本の中前打などで3点を返したが、3-7で敗退。代わった金山が箕島打線を無失点に抑え込んでいただけに、前半の大量失点が悔やまれた。

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(画像)5回途中からマウンドに上がった金山。緩いカーブで箕島打線を苦しめ、好救援を見せた。


(動画)YouTubeより。

大会後、金山はエースナンバーを背負ったが、秋の新人戦を前に部員が不祥事を起こし、まさかの出場辞退。札幌琴似工の不戦勝となり、翌春の選抜出場はならなかった。しかし、この出場辞退が札幌商ナインをさらに強くさせた。春の道大会では砂川南(現・砂川)に4-5で敗退したが、打線が尻上がりに調子を上げ、金山も好調だった。対外試合を半年間禁止され、最有力候補ではなかったが、地区大会では札幌光星を延長10回の末、4x-3で下すと、南大会でも準々決勝で苫小牧工を逆転勝利で下すなど、粘りの野球で南大会を勝ち抜いた。

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(画像)地区大会、南大会を一人で投げ抜いた金山。緩いカーブを駆使し、頭脳的な配球も冴え渡った。

一方、北大会では混戦模様が予想されており、頭一つ抜き出ていたのは稚内大谷だった。旭川龍谷、旭川実、根室西(現・根室)などがそれに続き、名寄工(現・名寄産業)、釧路工、釧路江南などが猛追するという構図だったが、最終的に甲子園への切符を掴んだのは旭川大高だった。エース・山田恭稔(右)は179センチと長身から投じる速球には威力があり、打たせて取るピッチングが持ち味である。地区大会から腰痛に悩まされていたが、3試合を完投。球速は110キロしか出なかったが、スリークォーター、横手、下手と3つのフォームを組み合わせ、相手打者を翻弄した。

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(画像)腰痛に悩まされていたが、3試合を完投した山田。179センチの長身から投じる速球には威力があった。

最初に登場したのは旭川大高だった。初戦の日向学院戦ではエース・若松浩幸の大きく落ちるカーブ、直球、巧みな配球に苦戦を強いられ、3回まで無安打に抑え込まれていたが、山田は3つのフォームで日向学院打線を翻弄した。味方打線も4回に菅野の左越え2塁打などで1点を先制。13回に2点を勝ち越されたが、山田は希望を捨てなかった。

「負けたとは思わなかった。悪くても同点ぐらいにはなると思った」

山田の祈りが通じたのか、13回裏、1死1、2塁で鈴木貴久(のち電電北海道→近鉄)が左前打を放つと、続く菅野も右前打を放ち、鈴木が気迫のタックル。その衝撃で南は左腕を骨折。ボールもグラブからこぼれ落ち、4x-3で勝利を収めた。試合後、山田はこう話した。

「3回から腰が痛くなった。負担を軽くするために横手投げに変えてカーブを多く使った。まだ、勝ったのが信じられない」


(動画)YouTubeより。

▼試合詳細


札幌商の初戦の相手は龍谷だった。3回裏、札幌商は2死から4連続安打で3点を先制したが、4回に龍谷が小野原誠、針尾の連続安打などで1点差。金山はボールに切れがなく、コントロールに苦しんだ。その裏、札幌商は小笠原の3塁打などで1点を追加したが、龍谷も粘る。6回に小野原誠がソロ本塁打を放つと、7回には古賀の2塁打などで4-4の同点に追い付いた。9回裏、札幌商は金山が四球を選ぶと、続く森川が左越え2塁打を放ち、5x-4で勝利。南北代表ともにサヨナラで2回戦進出を決めた。試合後、金山はこう話した。

「2塁を回ったところで打球が抜けるのが分かった。後は夢中で走った。ピッチングの方は最後までペースを掴めなかった。自分の責任を自分で取るよう心掛けた」

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(画像)満足のいくピッチングはできなかったが、母校に49年ぶりの白星をもたらした金山。南北代表ともにサヨナラで2回戦進出を決めた。


(動画)YouTubeより。

旭川大高の2回戦の相手は南宇和。試合は山田とエース・岡崎正樹(のち国鉄四国)の息詰まる投手戦となった。山田は5回に市川の2塁打などで1点を先制されたが、以降は横手主体のピッチングに切り替え、シュート、カーブで相手打者を打ち取っていった。6回表、旭川大高は鈴木の3塁打などで逆転に成功したが、南宇和も粘る。8回に田中の四球、浜見の中前打などで2-2の同点に追い付いた。9回表、旭川大高は鈴木が3塁打を放つと、続く菅野が右前打を放ち、3-2で勝利。試合後、山田はこう話した。

「今日も始めから痛かった。途中から横手にしたのもそのため。カーブが決まってくれたので助かった。もう後は気力、次のゲームも絶対投げ切ります」

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(画像)腰痛を抱えながらもマウンドに立った山田。2試合連続逆転勝利で3回戦進出を決めた。

「俺たちも続け! これで負けたら面子が立たない」

2回戦の双葉(休校→ふたば未来学園)戦を前に、札幌商ナインは闘志を露わにした。金山のコントロールは今一つだったが、バッティングの方で活躍。5回に右前打を放つと、8回には1死2、3塁で2点スクイズを決めた。さらに森川、前野、蔵谷の3連続安打で1点を追加。7-5で旭川大高に続き、3回戦進出を決めた。試合後、金山はこう話した。

「僕はバッティングには自信がないので、バントの練習だけは積んだ」


(動画)YouTubeより。1/5~5/5まであります。

これまで道勢は初戦敗退の常連だったが、史上初の南北代表ベスト16入りを決め、野球ファンをはじめ、ネット裏の関係者たちも驚きの声を上げた。野球ファンの関心は一気に道勢の快進撃に向けられたが、旭川大高には暗い影が差していた。山田は北大会を含め、ここまで5完投。腰は既に悲鳴を上げ、整骨院に駆け込んだ。マッサージ、電気治療などを施したが、効果は出ず、3回戦の興南戦は痛み止めの注射を打っての登板となった。投げるたびに腰が痛み、スローボール、カーブを連投。だましだましの投球を続けたが、山田には興南打線を抑え込む力など残されていなかった。3回を投げ、7安打7失点。山田が力尽きた時点で旭川大高の敗戦は決定的となった。代わった安田も興南打線に掴まり、0-14で大敗。試合後、山田はさっぱりとした表情でこう話した。

「思い切りやれたので悔いはありません。丁寧に投げれば、そんなに打たれないってことを甲子園で勉強しました」

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(画像)力投する山田。スローボール、カーブを連投したが、興南打線には通用しなかった。

旭川大高が姿を消し、準々決勝進出の夢は札幌商に託された。相手は荒木大輔(のちヤクルト→大洋)を擁する早稲田実だったが、味方の打撃は振るわなかった。5回までに8三振。わずか2安打に抑え込まれ、荒木攻略の糸口を掴めない。投げては金山も粘りの投球でピンチを脱したが、終盤に早稲田実の強力打線に掴まってしまった。8回に小山の左前打、播磨の3塁打で1失点。9回にも小沢章一(のち早稲田大)の左前打などで1点を追加され、0-2で敗退。準々決勝進出の夢を断たれ、金山の最後の夏は終わりを告げた。それと同時に、南北代表ともに3回戦で甲子園を去ることとなった。試合後、金山はこう話した。

「僕が打たれたから負けた。もう1勝して、同じ北海道勢の旭川大を負かした興南に、仕返ししてやりたかった」

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(画像)毎回走者を出しながらも粘りの投球でピンチを脱した金山だったが、終盤に早稲田実の強力打線に掴まってしまった。


(動画)YouTubeより。

道勢史上初の南北代表ベスト16入り。その立役者となったのは金山、山田の両エースだった。山田は地区大会から腰痛を抱えながらも精神力だけで投げ続け、初戦の日向学院戦では粘りの投球でサヨナラ勝利を呼び込むと、2回戦の南宇和戦では内角のシュートで打たせて取るピッチングに徹した。痛み止めの注射を打って挑んだ3回戦の興南戦ではスローボール、カーブを投げるのが精一杯であり、0-14で大敗を喫したが、腰痛を押しての力投は立派だった。一方、札幌商ナインはテレビの宿舎から旭川大高に声援を送り続けていた。また、山田の地区大会で痛めた腰の具合も知っていた。軽いランニングとキャッチボールしかできなかった山田が強豪校を相手に歯を食いしばって投げているのだ。札幌商ナインが燃えないはずがない。初戦の龍谷戦では苦しい試合となったが、5x-4で勝利。2回戦の双葉戦では金山が6回に死球を受けるアクシデントに見舞われたが、臨時代走を出しながらも完投。3回戦で早稲田実に0-2で敗退したが、金山は好投手と互角に投げ合った。準々決勝進出はならなかったが、甲子園で「北国旋風」を巻き起こし、南も北も関係なく、北海道が一つになった瞬間だった。

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(画像)道勢史上初の南北代表ベスト16入り。南も北も関係なく、北海道が一つになった瞬間だった。

大会後、金山は栃木国体に出場。準決勝で横浜に0-13で敗退したが、他校の選手たちと親睦を深めていった。卒業後は北海学園大学に進学。現在は砂川駅近くでラーメン店を営んでいる。

一方、山田はまだ2年生。甲子園に出場できるチャンスはあと2回残されていた。しかし、秋の道大会では初戦で北海道日大(現・北海道栄)に1-4で敗退。翌春の選抜出場を逃すと、最上級生で挑んだ夏の地区大会でも3回戦で旭川実に延長14回の末、4-7で敗退。甲子園出場の夢を断たれ、山田の最後の夏は終わりを告げた。卒業後の詳しい進路は不明だが、現在は旭川大雪ボーイズのコーチを務めているそうだ。

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(画像)「北国旋風」の立役者となった金山(上)と山田。道勢の快進撃は今も強くファンの記憶に残っている。

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・宮本貴美久(野球選手)
・小沢章一(野球選手)

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・『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]12 北海道編』ベースボール・マガジン社, 2010年, p.34
・『地域別高校野球シリーズ15 北海道の高校野球』ベースボール・マガジン社, 2014年, p.52, p.71
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第61回高校野球選手権』朝日新聞社, 1979年, p.25
・『アサヒグラフ 8月31日号 第61回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1979年, p.70
・『週刊ベースボール 9月9日号増刊 第61回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1979年, pp.84-85, p.170
・『輝け甲子園の星 第61回全国高校野球選手権大会』日刊スポーツ出版社, 1979年, p.123
・『月刊・野球党9月号増刊 '79甲子園大会 第61回全国高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1979年, p.59
・『報知高校野球 秋季増大号 白球と青春を語るマガジン』報知新聞社, 1979年, p.77
・『週刊朝日 7月15日号増刊 地方大会号 第62回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1980年, pp.50-53
・『週刊ベースボール 7月6日号増刊 第62回全国高校野球選手権大会予選展望号』ベースボール・マガジン社, 1980年, pp.64-65
・『輝け甲子園の星 ★'80思い出特別号』日刊スポーツ出版社, 1980年, p.124
・『週刊朝日 8月10日号増刊 甲子園大会号 第62回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1980年, pp.98-99
・『アサヒグラフ 9月5日号 第62回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1980年, p.30, p.52, p.87, p.94, p.104, p.117
・『週刊ベースボール 9月6日号増刊 第62回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1980年, pp.68-69, pp.78-79, p.153, p.161, p.175, p.178, p.182, p.188
・『輝け甲子園の星 ★第62回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1980年, p.34, p.41, p.88, p.96, p.113, p.116
・『ホームラン '80甲子園大会 第62回全国高校野球選手権大会速報』日本スポーツ出版社, 1980年, p.55, p.61, pp.84-85, p.89, p.97
・『報知高校野球 速報◉'80選手権熱戦大特集』報知新聞社, 1980年, p.57, p.72, p.80, p.94, p.97, p.101, p.107
・『輝け甲子園の星 ★'80秋季号』日刊スポーツ出版社, 1980年, p.101
・『週刊朝日 7月20日号増刊 地方大会号 第63回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1981年, p.56
・『週刊ベースボール 7月5日号増刊 第63回全国高校野球選手権大会予選展望号』ベースボール・マガジン社, 1981年, p.72
・『輝け甲子園の星 ★現役・OB球児の近況特集』日刊スポーツグラフ, 1981年, p.52
・『日刊スポーツ』札幌商 夢中で体ごと飛びついた, 2015年,
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/1504611.html(最終閲覧日:2020年10月24日)

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・ 1枚目(左):『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]12 北海道編』ベースボール・マガジン社, 2010年, p.47
・ 1枚目(右):『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]12 北海道編』ベースボール・マガジン社, 2010年, p.47
・ 2枚目:『地域別高校野球シリーズ15 北海道の高校野球』ベースボール・マガジン社, 2014年, p.52
・ 3枚目:『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]12 北海道編』ベースボール・マガジン社, 2010年, p.47
・ 4枚目:『ホームラン '80甲子園大会 第62回全国高校野球選手権大会速報』日本スポーツ出版社, 1980年, p.75
・ 5枚目:『輝け甲子園の星 ★第62回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1980年, p.153
・ 6枚目:『シリーズにっぽんの高校野球 [地域限定エディション]12 北海道編』ベースボール・マガジン社, 2010年, p.47
・ 7枚目:『輝け甲子園の星 ★'80秋季号』日刊スポーツ出版社, 1980年, p.121
・ 8枚目:『YouTube』【札幌商9回サヨナラ】1980 62回大会 1回戦 札幌商 vs 龍谷 昭和55年, 2020年,
https://www.youtube.com/watch?v=qF49wIlyFvI
・ 9枚目(左):『アサヒグラフ 9月5日号 第62回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1980年, p.117
・ 9枚目(右):『アサヒグラフ 9月5日号 第62回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1980年, p.104
・ 10枚目:『YouTube』1980高校野球3回戦 早稲田実 vs 札幌商, 2020年,
https://www.youtube.com/watch?v=ft_WcB9hhDs
・ 11枚目:『YouTube』1980高校野球3回戦 興南 vs 旭川大, 2020年,
https://www.youtube.com/watch?v=Bx2q8l_2eGw


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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12月の振り返り
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月間UU:4693(前月比+799)
月間PV:10984(前月比+2053)
1日あたりの最多UU:208(12月10日)
1日あたりの最多PV:485(12月15日)

11月に比べ、PV数・UU数ともに大幅に増加。それと同時に月間PV数・UU数ともに最多記録を更新しました。3桁PV獲得は14記事でした。

1坂本昇(232)
2浜名翔・前(190)
3復活が待たれる⑥(177)
4浜名翔・後(173)
5渡辺隆文(172)
6復活が待たれる⑤(154)
7富士 VS 高知(147)
8復活が待たれる⑧(129)
9箕島名勝負7選(110)
10池本和彦(109)
11中原耕造(105)
12復活が待たれる③(103)
13江戸川学園取手(103)
14崇徳 VS 長崎海星(100)

富士 VS 高知は青い鳥効果です。

▼惜しい組
東裕司(99)、秋吉章史(99)、復活が待たれる④(97)、野球選手スペシャル北信越編①(95)、金野正志(92)

東裕司はGAORA効果です。
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京都府在住。女性。25歳。高校野球ファン歴は14年。これまで購入した高校野球本は数百冊。年間数十万円を高校野球に注ぎ込むほどのオタクです。他の趣味としては、美少女ゲームソング・天体観測・都市伝説・特撮など。「高校野球No.1ブログ=20世紀の高校野球」と言っていただけることを夢見て日々運営中です。

画像は『週刊朝日 7月20日号増刊 地方大会号 第63回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1981年, p.162より

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名前:二十 球子(はた・たまこ)

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