戦後から80年代にかけ、高知県の高校球界は高知商が引っ張っていた。1947年に松田昇監督が就任。松田監督は徹底的に相手選手を分析する「データ野球」を取り入れ、1948年春に甲子園初出場。その後は県内の優勝候補に名を連ね、「四国四商」の一角にも入った。甲子園通算61勝36敗。プロで活躍した好投手も多数輩出しているが、それでも夏の優勝旗に手が届かなかったのは、ある学校の存在があったからだろう。
最初の対決となったのは1978年夏である。エース・森浩二(のち阪急→ヤクルト)は右打者の膝元に伸びる直球に威力があり、プロのスカウトから早々に目を付けられていた。1年時は制球力がなく、ストライクを取りにいく直球を狙い打ちされ、目立った活躍はできなかったが、2年時になってからは下半身が安定。体力も付き、谷脇一夫監督の指導でようやく才能が開花した。夏の県大会では2回戦の須崎(現・須崎総合)戦、準決勝の安芸戦と苦戦続きだったが、これを乗り切ったチームの自信は大きかった。決勝の土佐戦では5回に1-1の同点に追い付かれたが、「接戦に強い」と言われていた土佐のお株を奪い、2-1で優勝を達成。森をはじめ、松浦、中西清起(のちリッカー→阪神)の投手力は安定しており、これといった短所がないのも特徴的であった。
(画像)谷脇監督の指導で才能が開花した森。プロのスカウトから早々に目を付けられていた。
仙台育英、報徳学園、岡山東商といった強豪校を次々と下し、迎えた決勝の相手はPL学園だった。PL学園は準決勝の中京(現・中京大中京)戦で4点差をひっくり返す奇跡の大逆転勝利を収めており、勢いに乗っていた。試合前、PL学園に奇跡の再現を期待するファンもいたが、試合は高知商ペースで進んでいった。3回表、1死から中沢が中前打で出塁すると、続く明神茂行(のち明治大)も中前打で出塁。森田も四球を選び、1死満塁のチャンスを作ると、青木悟が左前打を放ち、中沢が生還。さらに明神も好走塁を見せ、2点を先制した。投げては森も8回までPL学園打線をわずか3安打に抑え込むパーフェクトピッチング。誰もが高知商の勝利を信じて疑わなかった。しかし、9回に入ってから森の投球に異変が起きる。前日の中京戦が頭をよぎったのか、明らかに投球動作が強ばり、腕が縮んでしまっていた。ストライクが入らず、木戸克彦(のち法政大→阪神)の犠飛で1点差にまで詰め寄られると、エース・西田真次(のち法政大→広島)に2塁打を打たれ、2-2の同点。続く柳川の打球も左中間を抜けていき、2-3xで敗退となった。
(画像)勝利を目前にしながら最後に打たれた森(中央)。先輩に支えられながら甲子園を去っていった。
試合後、森は「甲子園は怖い…。3年生にすみません…」と泣きじゃくった。大会前は「ここ一番に弱い」と言われていたが、森の好投とソツのない攻撃で次々と評価を覆し、夏の優勝旗にも手が届きかけていた。しかし、それは土壇場で高知商の手中から抜けた。谷脇監督はのちに「ピンチになって、ベンチで大声で指示を出したけど、決勝の大観衆の中では選手に届いていなかった。私に経験があれば、高知商が今も果たしていない夏の優勝に届いていたかもしれない」と回想している。
(動画)YouTubeより。
▼試合詳細
それから5年後の1983年夏、両チームは再び甲子園で顔を合わせた。谷脇監督は5年前の反省から、声と同時にジェスチャーをするようにした。エース・津野浩(のち日本ハム→広島→中日→ロッテ)は夏の県大会では38イニングを投げ、32奪三振。準々決勝で高知、準決勝で明徳(現・明徳義塾)の強力打線を抑え込んだ好投は光った。決勝の高知東戦では連投の疲れからか、少し打ち込まれたが、谷脇監督は「これを薬にして、もう一つ精神的に成長すれば、甲子園でも十分通用する力は持っている」と絶対の信頼を寄せていた。津野は甲子園入りしてからも好調を維持し、初戦の秋田戦では10安打3失点。3回戦の箕島戦ではエース・吉井理人(のち近鉄→ヤクルト→メッツ→ロッキーズ→エクスポズ→オリックス→ロッテ)から満塁本塁打を放つなど、投打にわたって活躍。8-2で準々決勝進出を決めた。
(画像)184センチの長身から伸びのある速球を投げ込む津野。3回戦の箕島戦では満塁本塁打を放つなど、抜群の打撃センスを見せた。
そして迎えた準々決勝の相手はPL学園。宿敵との再戦に谷脇監督はリベンジに燃えたが、津野は初回からPL学園打線に掴まった。6回までに小島のソロ本塁打を含む13安打を浴び、10失点。試合はワンサイドになるかと思われたが、5回に味方打線が反撃を開始する。1死から木下の中前打を足がかりに打者9人の猛攻で一挙5得点。6回にも津野の2点本塁打などで1点差にまで詰め寄ったが、以降はエース・藤本耕(のち日本生命)に完璧に抑え込まれ、9-10で敗退。ちなみに、両チームで10二塁打は大会新記録だった。
(画像)6回に2点本塁打を放った津野。1点差にまで詰め寄ったが、反撃もここまでとなった。
試合後、谷脇監督は「予想外の試合展開。打撃戦になったら負けると思ってました。中山裕章(のち大洋→中日→中信ホエールズ)の好調さを見ると、5、6点のところで代えた方が良かったのかも。沈滞気味のベンチを良く盛り上げてくれた。素晴らしい試合でした」と話した。津野は「調子も悪くなかったし、プレッシャーもなかったんだけど…。清原和博(のち西武→巨人→オリックス)には低めを上手く打たれた。6回の本塁打は狙って打った」と話した。リベンジ達成はならなかったが、ワンサイドから一転、1点差にまで詰め寄る粘りの野球を見せた。
(動画)YouTubeより。
それから2年後の1985年夏、両チームは三度甲子園で顔を合わせた。エース・中山は本格派右腕であり、谷脇監督も1年時から目を付けていた。直球には伸びがあり、2種類のカーブ、スライダーと球種も豊富だった。夏の県大会では高知工、清水を連続完封で下すと、決勝の伊野商戦ではエース・渡辺智男(のちNTT四国→西武→ダイエー→西武)に投げ勝ち、甲子園出場を決めた。中山は全5試合で失点はわずか3。谷脇監督は「良く伸びてきたし、安心して見ていられる」と満足そうな表情で話した。大会前、PL学園のエース・桑田真澄(のち巨人→パイレーツ)とともに本格派投手と言われ、初戦の藤嶺藤沢戦でその剛球ぶりを披露。150キロをマークし、プロのスカウト陣を驚かせた。2回戦の志度商(現・志度)戦では2安打12奪三振。3回戦で川之江を延長11回の末、3x-2で下し、準々決勝進出を決めた。
(画像)本格派右腕として注目を集めていた中山。直球には伸びがあり、2種類のカーブ、スライダーと球種も豊富だった。
そして迎えた準々決勝の相手はPL学園。谷脇監督は「同じ相手に3度も負けるわけにはいかない」とリベンジに燃えた。2回表、高知商は中山が中越え2塁打で出塁すると、続く川村が2点本塁打。さらに岡村、楠の連続安打で1死1、2塁のチャンスを作ったが、田島が併殺に打ち取られ、追加点を挙げることができなかった。それでも2点のリードを奪い、試合は高知商ペースで進むかと思われたが、3回に入ってから中山の投球に異変が起きる。笹岡、内匠政博(のち近畿大→日本生命→近鉄)に連続四球を与えると、続く安本、松山秀明(のち青山学院大→オリックス)の連続安打などで4失点。5回には清原、桑田にアベック本塁打を打たれ、2点を失った。7回表、高知商は1死3塁で松岡が犠飛を放ち、1点を返したが、3-6で敗退。三度目の正直とはならなかった。
(画像)7回表、高知商は1死3塁で松岡が犠飛を放ち、川村がホームイン。3点差に詰め寄ったが、反撃もここまでとなった。
試合後、谷脇監督は「PLの壁は厚かった。PL一人が10点で全員で90点なら、ウチは70点。PLは一人ひとりが優れてる」と話した。中山は「PLって抜け目がなかった。桑田君は僕より粘り強かった。その差が出てしもうたと思います」と話した。まさに「事実上の決勝戦」に相応しい一戦。超高校級と打者が火花を散らした戦いだった。
(動画)YouTubeより。
谷脇監督は「打倒・PL学園」を掲げ、甲子園に挑んだが、いずれもPL学園の厚い壁に跳ね返された。さらに、その年のPL学園は全て優勝を達成。高知商にとって、PL学園の全盛期と重なってしまったのが何とも不運だった。森、中西、津野、中山、岡林洋一(のち専修大→ヤクルト)、岡幸俊(のちヤクルト)など、好投手を擁しながらも夏の優勝旗に手が届かなかったのは、そういった不運があったからかもしれない。その後、県内では明徳義塾の一強時代となり、PL学園野球部も事実上の廃部。今後、両チームが甲子園で顔を合わせる可能性はかなり低いが、それでもファンは4度目の対戦を心待ちにしている。
(画像)PL学園の厚い壁に跳ね返された高知商。現在では両チームともに甲子園出場は難しいが、ファンは4度目の対戦を心待ちにしている。

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▼殿堂記事
▼1年間で3桁PVを獲得した記事(1回以上)
PL学園名勝負10選、金野正志、富士 VS 高知、東裕司、木村真樹(前編)、復活が待たれるシリーズ①③④⑤⑥⑧、渡辺隆文、野球選手スペシャル(北海道・東北編②・関東編①②③・北信越編①②)、逆転のPL(中編・後編)、中原耕造、育英3本柱、渡辺政史、中村誠治、坂本昇、鍋島博、箕島名勝負7選、池本和彦、浜名翔(前編・後編)、崇徳 VS 長崎海星、江戸川学園取手。
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livedoor blogでは人気記事がこのような形式で表示されますが、30位までしか表示されません。Google Analyticsというツールを使用すれば、全ての記事のPV数が表示されるそうですが、そこまでする必要もないですよね…。
☆裏話など☆
▼復活が待たれるシリーズ
もうお気付きの方もいるかもしれませんが、出題選手は基本的にノンプロからです。プロ入り選手でも良いのですが、「簡単すぎる」という声が挙がるかもしれないと思い、敢えてノンプロから出題させていただいております。簡単すぎず、難しすぎず。どうしても思い付かない場合はプロ入り選手から出題させていただくこともあります。直近出場から半世紀以上経っている高校だと出題しない場合もあります。
▼最強高校ランキング
*候補に挙げた高校の基準*
①優勝回数が3回以上(夏は1回以上)※20世紀の成績
「最強」を決めるので、優勝をしていない高校は候補から除外しました。一番頭を悩ませたのが東邦。優勝回数は満たしているのですが、夏に優勝していないという部分で少し物足りなさを感じてしまいました。夏のみの優勝校は候補に挙げております。春夏の成績で判断とは言いましたが、やはり夏に重みを置いて決めさせていただきました。
②出場回数が10回以上 ※20世紀の成績
出場回数が少なすぎるのもアレですから…。
全体的に古豪を上位に持ってきました。ただし、PL学園と池田は別格。最初は本当に遊び半分だったのですが、考えているうちに熱が入ってしまいまして…。あくまで一個人が決めたランキングなので、賛否両論はあるかと思います。
こういったランキングは、戦前に活躍した高校がどうしても不利になってしまいます。記事にはしませんでしたが、実はもう一つ別のランキングを考えておりました。
▼2020年春の選抜の見どころ
こちらの記事、元々は選抜開幕直前に公開予定でした。しかし、コロナの影響で大会が中止になったため、更新することができず、結局お蔵入りに。このまま削除するのも勿体ない気がしましたので、総訪問者数1万人突破記念も兼ねて公開することを決めました。タイトルは面倒だったので、変更はしておりません。交流試合期間中は「復活が待たれる⑥」の方を書いておりましたので、この記事の更新は交流試合終了後となってしまいました。青鉛筆より下は新たに書き加えた部分です。管理人自体、リアルタイムの高校野球にはそこまで詳しくありませんので、他の野球ブログ様より内容が薄っぺらいのはお許しください。
金山英司(札幌商)/ 山田恭稔(旭川大高)
こちらの記事、最初は「『北国旋風』の立役者、チーム初の一大会で2勝を挙げた札幌商のエース」というタイトルでした。内容も金山のことだけで、山田のことには一切触れていませんでした。この頃は過去記事のメンテナンスも同時並行で行っており、「日向学院 VS 旭川大高」の記事を再編集している時に、ふと「金山と山田を絡めて紹介すれば、より一層濃い内容の記事が書けるのではないか」と思い、内容を大幅に修正。自分的にはそれなりに上手く編集できたのではないかと思うのですが…(笑)。北海道の高校野球ファンの方におすすめしたいです。
☆本当に訪問者が知りたい20の質問☆
☆さいごに☆
旧旧ブログを含め、これまで7年間ブログを運営してきましたが、今のブログが一番書いていて楽しいです。恐らく、自分が本当に書きたかったのは「20世紀の高校野球」だったのでしょう。旧旧ブログでは「21世紀の高校野球」がメインでした。最初は「21世紀の高校野球」から「20世紀の高校野球」への路線変更に悩んだ時期もありました。こんな若者が昔の高校野球を語って大丈夫なのか、オールドファンの方から批判が殺到しないか、とか。しかし、実際に運営してみると、読者様から温かいメッセージが沢山届き、旧旧ブログよりもリピーターや読者登録の人数が増加しました。今では路線変更して大正解だったと思います。まだまだ未熟な管理人ですが、これからもよろしくお願い致します。最終目標は「高校野球No.1ブログ=20世紀の高校野球」と言っていただけることです。
*謹賀新年*

・明神茂行(野球選手)
・藤本耕(野球選手)

・『高校野球100年記念 高校野球強豪校伝説 甲子園の歴史を彩ってきた古豪、新鋭が勝利順で一挙登場!』 ベースボール・マガジン社, 2015年, pp.34-35
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第60回高校野球選手権』朝日新聞社, 1978年, p.63
・『アサヒグラフ 9月1日号 第60回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1978年, pp.126-127
・『週刊ベースボール 9月9日号増刊 第60回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1978年, pp.48-49, p.201
・『甲子園大会 1978 第60回全国高等学校野球選手権大会』ベースボール・マガジン社, 1978年, p.28
・『輝け甲子園の星 第60回全国高校野球選手権大会』日刊スポーツ出版社, 1978年, p.15
・『月刊・野球党9月号 第60回全国高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1978年, p.4
・・『週刊朝日 8月10日号増刊 甲子園大会号 第65回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1983年, pp.164-165
・『アサヒグラフ増刊 9月1日号 第65回全国高校野球選手権記念大会』朝日新聞社, 1983年, p.139
・『週刊ベースボール 9月10日号増刊 第65回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1983年, pp.55-56, p.195
・『輝け甲子園の星 1983 No.4 ★第65回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1983年, p.15
・『ホームラン '83甲子園大会 第65回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1983年, p.15, p.32
・『報知高校野球 '83選手権速報◉PL学園初優勝!』報知新聞社, 1983年, p.131
・『'83夏 甲子園の恋人たち ◯94人のエース&ヒーロー定期サイズ顔写真入り◯』学研, 1983年, p.63
・『月刊高校野球マガジン⑨ 第67回全国高校野球選手権大会総ガイド』ベースボール・マガジン社, 1985年, p.154
・『週刊朝日 8月15日号増刊 '85甲子園大会号』朝日新聞社, 1985年, pp.180-181
・『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '85甲子園の夏 第67回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1985年, p.136
・『週刊ベースボール 9月7日号増刊 第67回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1985年, pp.60-62, pp.56-57, p.193
・『輝け甲子園の星 1985 No.5 ★第67回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1985年, pp.16-17, p.115
・『ホームラン 甲子園大会1985 第67回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1985年, p.12
・『報知高校野球 '85選手権速報◉優勝!PL学園』報知新聞社, 1985年, p.129
・『'85夏★甲子園の恋人たち★ヒーロー92人いい顔写真集⦅とじ込みポスターつき⦆』学研, 1985年, p.82
・『輝け甲子園の星 1985 No.6 アイドルスペシャル'85』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.42
・『スポニチ』元高知商監督・谷脇一夫氏 思い出す78年“逆転のPL”と明暗分けた初采配の差, 2018年,
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/08/13/kiji/20180813s00001002058000c.html(最終閲覧日:2020年12月28日)

・ 1枚目:『PLグラフ No.7 第60回全国高校野球選手権大会 初優勝記念特別号』1978年, 芸術生活社, p.10
・ 2枚目:『月刊・野球党9月号 第60回全国高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1978年, p.5
・ 3枚目:『報知高校野球 '83選手権速報◉PL学園初優勝!』報知新聞社, 1983年, p.54
・ 4枚目:『輝け甲子園の星 1983 No.4 ★第65回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1983年, p.15
・ 5枚目:『輝け甲子園の星 1985 No.6 アイドルスペシャル'85』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.41
・ 6枚目:『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '85甲子園の夏 第67回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1985年, p.136
・ 7枚目:『毎日グラフ 4月25日号 球春謳歌 燃える甲子園』毎日新聞社, 1980年, p.11
最後まで目を通して頂きありがとうございました。




最初の対決となったのは1978年夏である。エース・森浩二(のち阪急→ヤクルト)は右打者の膝元に伸びる直球に威力があり、プロのスカウトから早々に目を付けられていた。1年時は制球力がなく、ストライクを取りにいく直球を狙い打ちされ、目立った活躍はできなかったが、2年時になってからは下半身が安定。体力も付き、谷脇一夫監督の指導でようやく才能が開花した。夏の県大会では2回戦の須崎(現・須崎総合)戦、準決勝の安芸戦と苦戦続きだったが、これを乗り切ったチームの自信は大きかった。決勝の土佐戦では5回に1-1の同点に追い付かれたが、「接戦に強い」と言われていた土佐のお株を奪い、2-1で優勝を達成。森をはじめ、松浦、中西清起(のちリッカー→阪神)の投手力は安定しており、これといった短所がないのも特徴的であった。
(画像)谷脇監督の指導で才能が開花した森。プロのスカウトから早々に目を付けられていた。
仙台育英、報徳学園、岡山東商といった強豪校を次々と下し、迎えた決勝の相手はPL学園だった。PL学園は準決勝の中京(現・中京大中京)戦で4点差をひっくり返す奇跡の大逆転勝利を収めており、勢いに乗っていた。試合前、PL学園に奇跡の再現を期待するファンもいたが、試合は高知商ペースで進んでいった。3回表、1死から中沢が中前打で出塁すると、続く明神茂行(のち明治大)も中前打で出塁。森田も四球を選び、1死満塁のチャンスを作ると、青木悟が左前打を放ち、中沢が生還。さらに明神も好走塁を見せ、2点を先制した。投げては森も8回までPL学園打線をわずか3安打に抑え込むパーフェクトピッチング。誰もが高知商の勝利を信じて疑わなかった。しかし、9回に入ってから森の投球に異変が起きる。前日の中京戦が頭をよぎったのか、明らかに投球動作が強ばり、腕が縮んでしまっていた。ストライクが入らず、木戸克彦(のち法政大→阪神)の犠飛で1点差にまで詰め寄られると、エース・西田真次(のち法政大→広島)に2塁打を打たれ、2-2の同点。続く柳川の打球も左中間を抜けていき、2-3xで敗退となった。
(画像)勝利を目前にしながら最後に打たれた森(中央)。先輩に支えられながら甲子園を去っていった。
試合後、森は「甲子園は怖い…。3年生にすみません…」と泣きじゃくった。大会前は「ここ一番に弱い」と言われていたが、森の好投とソツのない攻撃で次々と評価を覆し、夏の優勝旗にも手が届きかけていた。しかし、それは土壇場で高知商の手中から抜けた。谷脇監督はのちに「ピンチになって、ベンチで大声で指示を出したけど、決勝の大観衆の中では選手に届いていなかった。私に経験があれば、高知商が今も果たしていない夏の優勝に届いていたかもしれない」と回想している。
(動画)YouTubeより。
▼試合詳細
それから5年後の1983年夏、両チームは再び甲子園で顔を合わせた。谷脇監督は5年前の反省から、声と同時にジェスチャーをするようにした。エース・津野浩(のち日本ハム→広島→中日→ロッテ)は夏の県大会では38イニングを投げ、32奪三振。準々決勝で高知、準決勝で明徳(現・明徳義塾)の強力打線を抑え込んだ好投は光った。決勝の高知東戦では連投の疲れからか、少し打ち込まれたが、谷脇監督は「これを薬にして、もう一つ精神的に成長すれば、甲子園でも十分通用する力は持っている」と絶対の信頼を寄せていた。津野は甲子園入りしてからも好調を維持し、初戦の秋田戦では10安打3失点。3回戦の箕島戦ではエース・吉井理人(のち近鉄→ヤクルト→メッツ→ロッキーズ→エクスポズ→オリックス→ロッテ)から満塁本塁打を放つなど、投打にわたって活躍。8-2で準々決勝進出を決めた。
(画像)184センチの長身から伸びのある速球を投げ込む津野。3回戦の箕島戦では満塁本塁打を放つなど、抜群の打撃センスを見せた。
そして迎えた準々決勝の相手はPL学園。宿敵との再戦に谷脇監督はリベンジに燃えたが、津野は初回からPL学園打線に掴まった。6回までに小島のソロ本塁打を含む13安打を浴び、10失点。試合はワンサイドになるかと思われたが、5回に味方打線が反撃を開始する。1死から木下の中前打を足がかりに打者9人の猛攻で一挙5得点。6回にも津野の2点本塁打などで1点差にまで詰め寄ったが、以降はエース・藤本耕(のち日本生命)に完璧に抑え込まれ、9-10で敗退。ちなみに、両チームで10二塁打は大会新記録だった。
(画像)6回に2点本塁打を放った津野。1点差にまで詰め寄ったが、反撃もここまでとなった。
試合後、谷脇監督は「予想外の試合展開。打撃戦になったら負けると思ってました。中山裕章(のち大洋→中日→中信ホエールズ)の好調さを見ると、5、6点のところで代えた方が良かったのかも。沈滞気味のベンチを良く盛り上げてくれた。素晴らしい試合でした」と話した。津野は「調子も悪くなかったし、プレッシャーもなかったんだけど…。清原和博(のち西武→巨人→オリックス)には低めを上手く打たれた。6回の本塁打は狙って打った」と話した。リベンジ達成はならなかったが、ワンサイドから一転、1点差にまで詰め寄る粘りの野球を見せた。
(動画)YouTubeより。
それから2年後の1985年夏、両チームは三度甲子園で顔を合わせた。エース・中山は本格派右腕であり、谷脇監督も1年時から目を付けていた。直球には伸びがあり、2種類のカーブ、スライダーと球種も豊富だった。夏の県大会では高知工、清水を連続完封で下すと、決勝の伊野商戦ではエース・渡辺智男(のちNTT四国→西武→ダイエー→西武)に投げ勝ち、甲子園出場を決めた。中山は全5試合で失点はわずか3。谷脇監督は「良く伸びてきたし、安心して見ていられる」と満足そうな表情で話した。大会前、PL学園のエース・桑田真澄(のち巨人→パイレーツ)とともに本格派投手と言われ、初戦の藤嶺藤沢戦でその剛球ぶりを披露。150キロをマークし、プロのスカウト陣を驚かせた。2回戦の志度商(現・志度)戦では2安打12奪三振。3回戦で川之江を延長11回の末、3x-2で下し、準々決勝進出を決めた。
(画像)本格派右腕として注目を集めていた中山。直球には伸びがあり、2種類のカーブ、スライダーと球種も豊富だった。
そして迎えた準々決勝の相手はPL学園。谷脇監督は「同じ相手に3度も負けるわけにはいかない」とリベンジに燃えた。2回表、高知商は中山が中越え2塁打で出塁すると、続く川村が2点本塁打。さらに岡村、楠の連続安打で1死1、2塁のチャンスを作ったが、田島が併殺に打ち取られ、追加点を挙げることができなかった。それでも2点のリードを奪い、試合は高知商ペースで進むかと思われたが、3回に入ってから中山の投球に異変が起きる。笹岡、内匠政博(のち近畿大→日本生命→近鉄)に連続四球を与えると、続く安本、松山秀明(のち青山学院大→オリックス)の連続安打などで4失点。5回には清原、桑田にアベック本塁打を打たれ、2点を失った。7回表、高知商は1死3塁で松岡が犠飛を放ち、1点を返したが、3-6で敗退。三度目の正直とはならなかった。
(画像)7回表、高知商は1死3塁で松岡が犠飛を放ち、川村がホームイン。3点差に詰め寄ったが、反撃もここまでとなった。
試合後、谷脇監督は「PLの壁は厚かった。PL一人が10点で全員で90点なら、ウチは70点。PLは一人ひとりが優れてる」と話した。中山は「PLって抜け目がなかった。桑田君は僕より粘り強かった。その差が出てしもうたと思います」と話した。まさに「事実上の決勝戦」に相応しい一戦。超高校級と打者が火花を散らした戦いだった。
(動画)YouTubeより。
谷脇監督は「打倒・PL学園」を掲げ、甲子園に挑んだが、いずれもPL学園の厚い壁に跳ね返された。さらに、その年のPL学園は全て優勝を達成。高知商にとって、PL学園の全盛期と重なってしまったのが何とも不運だった。森、中西、津野、中山、岡林洋一(のち専修大→ヤクルト)、岡幸俊(のちヤクルト)など、好投手を擁しながらも夏の優勝旗に手が届かなかったのは、そういった不運があったからかもしれない。その後、県内では明徳義塾の一強時代となり、PL学園野球部も事実上の廃部。今後、両チームが甲子園で顔を合わせる可能性はかなり低いが、それでもファンは4度目の対戦を心待ちにしている。
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▼殿堂記事
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PL学園名勝負10選、金野正志、富士 VS 高知、東裕司、木村真樹(前編)、復活が待たれるシリーズ①③④⑤⑥⑧、渡辺隆文、野球選手スペシャル(北海道・東北編②・関東編①②③・北信越編①②)、逆転のPL(中編・後編)、中原耕造、育英3本柱、渡辺政史、中村誠治、坂本昇、鍋島博、箕島名勝負7選、池本和彦、浜名翔(前編・後編)、崇徳 VS 長崎海星、江戸川学園取手。
☆人気記事ランキング☆
livedoor blogでは人気記事がこのような形式で表示されますが、30位までしか表示されません。Google Analyticsというツールを使用すれば、全ての記事のPV数が表示されるそうですが、そこまでする必要もないですよね…。
☆裏話など☆
▼復活が待たれるシリーズ
もうお気付きの方もいるかもしれませんが、出題選手は基本的にノンプロからです。プロ入り選手でも良いのですが、「簡単すぎる」という声が挙がるかもしれないと思い、敢えてノンプロから出題させていただいております。簡単すぎず、難しすぎず。どうしても思い付かない場合はプロ入り選手から出題させていただくこともあります。直近出場から半世紀以上経っている高校だと出題しない場合もあります。
▼最強高校ランキング
*候補に挙げた高校の基準*
①優勝回数が3回以上(夏は1回以上)※20世紀の成績
「最強」を決めるので、優勝をしていない高校は候補から除外しました。一番頭を悩ませたのが東邦。優勝回数は満たしているのですが、夏に優勝していないという部分で少し物足りなさを感じてしまいました。夏のみの優勝校は候補に挙げております。春夏の成績で判断とは言いましたが、やはり夏に重みを置いて決めさせていただきました。
②出場回数が10回以上 ※20世紀の成績
出場回数が少なすぎるのもアレですから…。
全体的に古豪を上位に持ってきました。ただし、PL学園と池田は別格。最初は本当に遊び半分だったのですが、考えているうちに熱が入ってしまいまして…。あくまで一個人が決めたランキングなので、賛否両論はあるかと思います。
こういったランキングは、戦前に活躍した高校がどうしても不利になってしまいます。記事にはしませんでしたが、実はもう一つ別のランキングを考えておりました。
最強高校ランキング(戦前編)
1位:中京商(愛知)
2位:岐阜商(岐阜)
3位:広島商(広島)
4位:和歌山中(和歌山)
5位:松山商(愛媛)
6位:高松商(香川)
7位:海草中(和歌山)
8位:平安中(京都)
9位:浪華商(大阪)
10位:東邦商(愛知)
戦前だけの成績で判断しております。こちらは優勝回数が1回以上。出場回数が10回以上。春のみの優勝校も候補に挙げております。
▼2020年春の選抜の見どころ
こちらの記事、元々は選抜開幕直前に公開予定でした。しかし、コロナの影響で大会が中止になったため、更新することができず、結局お蔵入りに。このまま削除するのも勿体ない気がしましたので、総訪問者数1万人突破記念も兼ねて公開することを決めました。タイトルは面倒だったので、変更はしておりません。交流試合期間中は「復活が待たれる⑥」の方を書いておりましたので、この記事の更新は交流試合終了後となってしまいました。青鉛筆より下は新たに書き加えた部分です。管理人自体、リアルタイムの高校野球にはそこまで詳しくありませんので、他の野球ブログ様より内容が薄っぺらいのはお許しください。
金山英司(札幌商)/ 山田恭稔(旭川大高)
こちらの記事、最初は「『北国旋風』の立役者、チーム初の一大会で2勝を挙げた札幌商のエース」というタイトルでした。内容も金山のことだけで、山田のことには一切触れていませんでした。この頃は過去記事のメンテナンスも同時並行で行っており、「日向学院 VS 旭川大高」の記事を再編集している時に、ふと「金山と山田を絡めて紹介すれば、より一層濃い内容の記事が書けるのではないか」と思い、内容を大幅に修正。自分的にはそれなりに上手く編集できたのではないかと思うのですが…(笑)。北海道の高校野球ファンの方におすすめしたいです。
☆本当に訪問者が知りたい20の質問☆
☆さいごに☆
旧旧ブログを含め、これまで7年間ブログを運営してきましたが、今のブログが一番書いていて楽しいです。恐らく、自分が本当に書きたかったのは「20世紀の高校野球」だったのでしょう。旧旧ブログでは「21世紀の高校野球」がメインでした。最初は「21世紀の高校野球」から「20世紀の高校野球」への路線変更に悩んだ時期もありました。こんな若者が昔の高校野球を語って大丈夫なのか、オールドファンの方から批判が殺到しないか、とか。しかし、実際に運営してみると、読者様から温かいメッセージが沢山届き、旧旧ブログよりもリピーターや読者登録の人数が増加しました。今では路線変更して大正解だったと思います。まだまだ未熟な管理人ですが、これからもよろしくお願い致します。最終目標は「高校野球No.1ブログ=20世紀の高校野球」と言っていただけることです。
*謹賀新年*

・明神茂行(野球選手)
・藤本耕(野球選手)

・『高校野球100年記念 高校野球強豪校伝説 甲子園の歴史を彩ってきた古豪、新鋭が勝利順で一挙登場!』 ベースボール・マガジン社, 2015年, pp.34-35
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第60回高校野球選手権』朝日新聞社, 1978年, p.63
・『アサヒグラフ 9月1日号 第60回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1978年, pp.126-127
・『週刊ベースボール 9月9日号増刊 第60回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1978年, pp.48-49, p.201
・『甲子園大会 1978 第60回全国高等学校野球選手権大会』ベースボール・マガジン社, 1978年, p.28
・『輝け甲子園の星 第60回全国高校野球選手権大会』日刊スポーツ出版社, 1978年, p.15
・『月刊・野球党9月号 第60回全国高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1978年, p.4
・・『週刊朝日 8月10日号増刊 甲子園大会号 第65回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1983年, pp.164-165
・『アサヒグラフ増刊 9月1日号 第65回全国高校野球選手権記念大会』朝日新聞社, 1983年, p.139
・『週刊ベースボール 9月10日号増刊 第65回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1983年, pp.55-56, p.195
・『輝け甲子園の星 1983 No.4 ★第65回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1983年, p.15
・『ホームラン '83甲子園大会 第65回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1983年, p.15, p.32
・『報知高校野球 '83選手権速報◉PL学園初優勝!』報知新聞社, 1983年, p.131
・『'83夏 甲子園の恋人たち ◯94人のエース&ヒーロー定期サイズ顔写真入り◯』学研, 1983年, p.63
・『月刊高校野球マガジン⑨ 第67回全国高校野球選手権大会総ガイド』ベースボール・マガジン社, 1985年, p.154
・『週刊朝日 8月15日号増刊 '85甲子園大会号』朝日新聞社, 1985年, pp.180-181
・『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '85甲子園の夏 第67回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1985年, p.136
・『週刊ベースボール 9月7日号増刊 第67回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1985年, pp.60-62, pp.56-57, p.193
・『輝け甲子園の星 1985 No.5 ★第67回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1985年, pp.16-17, p.115
・『ホームラン 甲子園大会1985 第67回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1985年, p.12
・『報知高校野球 '85選手権速報◉優勝!PL学園』報知新聞社, 1985年, p.129
・『'85夏★甲子園の恋人たち★ヒーロー92人いい顔写真集⦅とじ込みポスターつき⦆』学研, 1985年, p.82
・『輝け甲子園の星 1985 No.6 アイドルスペシャル'85』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.42
・『スポニチ』元高知商監督・谷脇一夫氏 思い出す78年“逆転のPL”と明暗分けた初采配の差, 2018年,
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/08/13/kiji/20180813s00001002058000c.html(最終閲覧日:2020年12月28日)

・ 1枚目:『PLグラフ No.7 第60回全国高校野球選手権大会 初優勝記念特別号』1978年, 芸術生活社, p.10
・ 2枚目:『月刊・野球党9月号 第60回全国高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1978年, p.5
・ 3枚目:『報知高校野球 '83選手権速報◉PL学園初優勝!』報知新聞社, 1983年, p.54
・ 4枚目:『輝け甲子園の星 1983 No.4 ★第65回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1983年, p.15
・ 5枚目:『輝け甲子園の星 1985 No.6 アイドルスペシャル'85』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.41
・ 6枚目:『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '85甲子園の夏 第67回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1985年, p.136
・ 7枚目:『毎日グラフ 4月25日号 球春謳歌 燃える甲子園』毎日新聞社, 1980年, p.11
最後まで目を通して頂きありがとうございました。



