20世紀の高校野球

旧:‡Azure‡のbaseball日記です。ブログの趣旨が変わってきたため、名前を変更して再出発することにしました。70年代〜90年代を中心に、野球選手・名勝負等を紹介していきます。オールドファンの方に満足して頂けるようなブログを目指して頑張りますので、応援よろしくお願い致します。

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トリビア

「打倒・PL学園」を掲げて挑んだ甲子園、厚かった「永遠の学園」の壁

戦後から80年代にかけ、高知県の高校球界は高知商が引っ張っていた。1947年に松田昇監督が就任。松田監督は徹底的に相手選手を分析する「データ野球」を取り入れ、1948年春に甲子園初出場。その後は県内の優勝候補に名を連ね、「四国四商」の一角にも入った。甲子園通算61勝36敗。プロで活躍した好投手も多数輩出しているが、それでも夏の優勝旗に手が届かなかったのは、ある学校の存在があったからだろう。

最初の対決となったのは1978年夏である。エース・森浩二(のち阪急→ヤクルト)は右打者の膝元に伸びる直球に威力があり、プロのスカウトから早々に目を付けられていた。1年時は制球力がなく、ストライクを取りにいく直球を狙い打ちされ、目立った活躍はできなかったが、2年時になってからは下半身が安定。体力も付き、谷脇一夫監督の指導でようやく才能が開花した。夏の県大会では2回戦の須崎(現・須崎総合)戦、準決勝の安芸戦と苦戦続きだったが、これを乗り切ったチームの自信は大きかった。決勝の土佐戦では5回に1-1の同点に追い付かれたが、「接戦に強い」と言われていた土佐のお株を奪い、2-1で優勝を達成。森をはじめ、松浦、中西清起(のちリッカー→阪神)の投手力は安定しており、これといった短所がないのも特徴的であった。

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(画像)谷脇監督の指導で才能が開花した森。プロのスカウトから早々に目を付けられていた。

仙台育英、報徳学園、岡山東商といった強豪校を次々と下し、迎えた決勝の相手はPL学園だった。PL学園は準決勝の中京(現・中京大中京)戦で4点差をひっくり返す奇跡の大逆転勝利を収めており、勢いに乗っていた。試合前、PL学園に奇跡の再現を期待するファンもいたが、試合は高知商ペースで進んでいった。3回表、1死から中沢が中前打で出塁すると、続く明神茂行(のち明治大)も中前打で出塁。森田も四球を選び、1死満塁のチャンスを作ると、青木悟が左前打を放ち、中沢が生還。さらに明神も好走塁を見せ、2点を先制した。投げては森も8回までPL学園打線をわずか3安打に抑え込むパーフェクトピッチング。誰もが高知商の勝利を信じて疑わなかった。しかし、9回に入ってから森の投球に異変が起きる。前日の中京戦が頭をよぎったのか、明らかに投球動作が強ばり、腕が縮んでしまっていた。ストライクが入らず、木戸克彦(のち法政大→阪神)の犠飛で1点差にまで詰め寄られると、エース・西田真次(のち法政大→広島)に2塁打を打たれ、2-2の同点。続く柳川の打球も左中間を抜けていき、2-3xで敗退となった。

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(画像)勝利を目前にしながら最後に打たれた森(中央)。先輩に支えられながら甲子園を去っていった。

試合後、森は「甲子園は怖い…。3年生にすみません…」と泣きじゃくった。大会前は「ここ一番に弱い」と言われていたが、森の好投とソツのない攻撃で次々と評価を覆し、夏の優勝旗にも手が届きかけていた。しかし、それは土壇場で高知商の手中から抜けた。谷脇監督はのちに「ピンチになって、ベンチで大声で指示を出したけど、決勝の大観衆の中では選手に届いていなかった。私に経験があれば、高知商が今も果たしていない夏の優勝に届いていたかもしれない」と回想している。


(動画)YouTubeより。

▼試合詳細


それから5年後の1983年夏、両チームは再び甲子園で顔を合わせた。谷脇監督は5年前の反省から、声と同時にジェスチャーをするようにした。エース・津野浩(のち日本ハム→広島→中日→ロッテ)は夏の県大会では38イニングを投げ、32奪三振。準々決勝で高知、準決勝で明徳(現・明徳義塾)の強力打線を抑え込んだ好投は光った。決勝の高知東戦では連投の疲れからか、少し打ち込まれたが、谷脇監督は「これを薬にして、もう一つ精神的に成長すれば、甲子園でも十分通用する力は持っている」と絶対の信頼を寄せていた。津野は甲子園入りしてからも好調を維持し、初戦の秋田戦では10安打3失点。3回戦の箕島戦ではエース・吉井理人(のち近鉄→ヤクルト→メッツ→ロッキーズ→エクスポズ→オリックス→ロッテ)から満塁本塁打を放つなど、投打にわたって活躍。8-2で準々決勝進出を決めた。

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(画像)184センチの長身から伸びのある速球を投げ込む津野。3回戦の箕島戦では満塁本塁打を放つなど、抜群の打撃センスを見せた。

そして迎えた準々決勝の相手はPL学園。宿敵との再戦に谷脇監督はリベンジに燃えたが、津野は初回からPL学園打線に掴まった。6回までに小島のソロ本塁打を含む13安打を浴び、10失点。試合はワンサイドになるかと思われたが、5回に味方打線が反撃を開始する。1死から木下の中前打を足がかりに打者9人の猛攻で一挙5得点。6回にも津野の2点本塁打などで1点差にまで詰め寄ったが、以降はエース・藤本耕(のち日本生命)に完璧に抑え込まれ、9-10で敗退。ちなみに、両チームで10二塁打は大会新記録だった。

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(画像)6回に2点本塁打を放った津野。1点差にまで詰め寄ったが、反撃もここまでとなった。

試合後、谷脇監督は「予想外の試合展開。打撃戦になったら負けると思ってました。中山裕章(のち大洋→中日→中信ホエールズ)の好調さを見ると、5、6点のところで代えた方が良かったのかも。沈滞気味のベンチを良く盛り上げてくれた。素晴らしい試合でした」と話した。津野は「調子も悪くなかったし、プレッシャーもなかったんだけど…。清原和博(のち西武→巨人→オリックス)には低めを上手く打たれた。6回の本塁打は狙って打った」と話した。リベンジ達成はならなかったが、ワンサイドから一転、1点差にまで詰め寄る粘りの野球を見せた。


(動画)YouTubeより。

それから2年後の1985年夏、両チームは三度甲子園で顔を合わせた。エース・中山は本格派右腕であり、谷脇監督も1年時から目を付けていた。直球には伸びがあり、2種類のカーブ、スライダーと球種も豊富だった。夏の県大会では高知工、清水を連続完封で下すと、決勝の伊野商戦ではエース・渡辺智男(のちNTT四国→西武→ダイエー→西武)に投げ勝ち、甲子園出場を決めた。中山は全5試合で失点はわずか3。谷脇監督は「良く伸びてきたし、安心して見ていられる」と満足そうな表情で話した。大会前、PL学園のエース・桑田真澄(のち巨人→パイレーツ)とともに本格派投手と言われ、初戦の藤嶺藤沢戦でその剛球ぶりを披露。150キロをマークし、プロのスカウト陣を驚かせた。2回戦の志度商(現・志度)戦では2安打12奪三振。3回戦で川之江を延長11回の末、3x-2で下し、準々決勝進出を決めた。

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(画像)本格派右腕として注目を集めていた中山。直球には伸びがあり、2種類のカーブ、スライダーと球種も豊富だった。

そして迎えた準々決勝の相手はPL学園。谷脇監督は「同じ相手に3度も負けるわけにはいかない」とリベンジに燃えた。2回表、高知商は中山が中越え2塁打で出塁すると、続く川村が2点本塁打。さらに岡村、楠の連続安打で1死1、2塁のチャンスを作ったが、田島が併殺に打ち取られ、追加点を挙げることができなかった。それでも2点のリードを奪い、試合は高知商ペースで進むかと思われたが、3回に入ってから中山の投球に異変が起きる。笹岡、内匠政博(のち近畿大→日本生命→近鉄)に連続四球を与えると、続く安本、松山秀明(のち青山学院大→オリックス)の連続安打などで4失点。5回には清原、桑田にアベック本塁打を打たれ、2点を失った。7回表、高知商は1死3塁で松岡が犠飛を放ち、1点を返したが、3-6で敗退。三度目の正直とはならなかった。

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(画像)7回表、高知商は1死3塁で松岡が犠飛を放ち、川村がホームイン。3点差に詰め寄ったが、反撃もここまでとなった。

試合後、谷脇監督は「PLの壁は厚かった。PL一人が10点で全員で90点なら、ウチは70点。PLは一人ひとりが優れてる」と話した。中山は「PLって抜け目がなかった。桑田君は僕より粘り強かった。その差が出てしもうたと思います」と話した。まさに「事実上の決勝戦」に相応しい一戦。超高校級と打者が火花を散らした戦いだった。


(動画)YouTubeより。

谷脇監督は「打倒・PL学園」を掲げ、甲子園に挑んだが、いずれもPL学園の厚い壁に跳ね返された。さらに、その年のPL学園は全て優勝を達成。高知商にとって、PL学園の全盛期と重なってしまったのが何とも不運だった。森、中西、津野、中山、岡林洋一(のち専修大→ヤクルト)、岡幸俊(のちヤクルト)など、好投手を擁しながらも夏の優勝旗に手が届かなかったのは、そういった不運があったからかもしれない。その後、県内では明徳義塾の一強時代となり、PL学園野球部も事実上の廃部。今後、両チームが甲子園で顔を合わせる可能性はかなり低いが、それでもファンは4度目の対戦を心待ちにしている。

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(画像)PL学園の厚い壁に跳ね返された高知商。現在では両チームともに甲子園出場は難しいが、ファンは4度目の対戦を心待ちにしている。

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*ブログ開設1周年記念*

☆アクセス状況☆
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記事数:70
読者登録数:6(ブログ村含む)
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1日あたりの最多UU:472(2020年8月11日)
1日あたりの最多PV:935(2020年8月11日)
1記事あたりの月間最多PV:903(2020年8月)
※記事名:「野球留学」を選択した秀才、野球と勉強を両立させた尽誠学園のエース
目標値(UU):20000(+7638)
目標値(PV):50000(+16415)

最終月に月間PV数・UU数ともに最多記録を更新。目標値も大幅に上回ることができました。アクセスしてくださった方、誠にありがとうございました。

▼殿堂記事




▼1年間で3桁PVを獲得した記事(1回以上)
PL学園名勝負10選、金野正志、富士 VS 高知、東裕司、木村真樹(前編)、復活が待たれるシリーズ①③④⑤⑥⑧、渡辺隆文、野球選手スペシャル(北海道・東北編②・関東編①②③・北信越編①②)、逆転のPL(中編・後編)、中原耕造、育英3本柱、渡辺政史、中村誠治、坂本昇、鍋島博、箕島名勝負7選、池本和彦、浜名翔(前編・後編)、崇徳 VS 長崎海星、江戸川学園取手。

☆人気記事ランキング☆
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livedoor blogでは人気記事がこのような形式で表示されますが、30位までしか表示されません。Google Analyticsというツールを使用すれば、全ての記事のPV数が表示されるそうですが、そこまでする必要もないですよね…。

☆裏話など☆

▼復活が待たれるシリーズ


もうお気付きの方もいるかもしれませんが、出題選手は基本的にノンプロからです。プロ入り選手でも良いのですが、「簡単すぎる」という声が挙がるかもしれないと思い、敢えてノンプロから出題させていただいております。簡単すぎず、難しすぎず。どうしても思い付かない場合はプロ入り選手から出題させていただくこともあります。直近出場から半世紀以上経っている高校だと出題しない場合もあります。

▼最強高校ランキング


*候補に挙げた高校の基準*

①優勝回数が3回以上(夏は1回以上)※20世紀の成績
「最強」を決めるので、優勝をしていない高校は候補から除外しました。一番頭を悩ませたのが東邦。優勝回数は満たしているのですが、夏に優勝していないという部分で少し物足りなさを感じてしまいました。夏のみの優勝校は候補に挙げております。春夏の成績で判断とは言いましたが、やはり夏に重みを置いて決めさせていただきました。

②出場回数が10回以上 ※20世紀の成績
出場回数が少なすぎるのもアレですから…。

全体的に古豪を上位に持ってきました。ただし、PL学園と池田は別格。最初は本当に遊び半分だったのですが、考えているうちに熱が入ってしまいまして…。あくまで一個人が決めたランキングなので、賛否両論はあるかと思います。

こういったランキングは、戦前に活躍した高校がどうしても不利になってしまいます。記事にはしませんでしたが、実はもう一つ別のランキングを考えておりました。

最強高校ランキング(戦前編)

1位:中京商(愛知)
2位:岐阜商(岐阜)
3位:広島商(広島)
4位:和歌山中(和歌山)
5位:松山商(愛媛)
6位:高松商(香川)
7位:海草中(和歌山)
8位:平安中(京都)
9位:浪華商(大阪)
10位:東邦商(愛知)

戦前だけの成績で判断しております。こちらは優勝回数が1回以上。出場回数が10回以上。春のみの優勝校も候補に挙げております。


▼2020年春の選抜の見どころ


こちらの記事、元々は選抜開幕直前に公開予定でした。しかし、コロナの影響で大会が中止になったため、更新することができず、結局お蔵入りに。このまま削除するのも勿体ない気がしましたので、総訪問者数1万人突破記念も兼ねて公開することを決めました。タイトルは面倒だったので、変更はしておりません。交流試合期間中は「復活が待たれる⑥」の方を書いておりましたので、この記事の更新は交流試合終了後となってしまいました。青鉛筆より下は新たに書き加えた部分です。管理人自体、リアルタイムの高校野球にはそこまで詳しくありませんので、他の野球ブログ様より内容が薄っぺらいのはお許しください。

金山英司(札幌商)/ 山田恭稔(旭川大高)


こちらの記事、最初は「『北国旋風』の立役者、チーム初の一大会で2勝を挙げた札幌商のエース」というタイトルでした。内容も金山のことだけで、山田のことには一切触れていませんでした。この頃は過去記事のメンテナンスも同時並行で行っており、「日向学院 VS 旭川大高」の記事を再編集している時に、ふと「金山と山田を絡めて紹介すれば、より一層濃い内容の記事が書けるのではないか」と思い、内容を大幅に修正。自分的にはそれなりに上手く編集できたのではないかと思うのですが…(笑)。北海道の高校野球ファンの方におすすめしたいです。

☆本当に訪問者が知りたい20の質問☆
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☆さいごに☆
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旧旧ブログを含め、これまで7年間ブログを運営してきましたが、今のブログが一番書いていて楽しいです。恐らく、自分が本当に書きたかったのは「20世紀の高校野球」だったのでしょう。旧旧ブログでは「21世紀の高校野球」がメインでした。最初は「21世紀の高校野球」から「20世紀の高校野球」への路線変更に悩んだ時期もありました。こんな若者が昔の高校野球を語って大丈夫なのか、オールドファンの方から批判が殺到しないか、とか。しかし、実際に運営してみると、読者様から温かいメッセージが沢山届き、旧旧ブログよりもリピーターや読者登録の人数が増加しました。今では路線変更して大正解だったと思います。まだまだ未熟な管理人ですが、これからもよろしくお願い致します。最終目標は「高校野球No.1ブログ=20世紀の高校野球」と言っていただけることです。

*謹賀新年*
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・明神茂行(野球選手)
・藤本耕(野球選手)

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・『高校野球100年記念 高校野球強豪校伝説 甲子園の歴史を彩ってきた古豪、新鋭が勝利順で一挙登場!』 ベースボール・マガジン社, 2015年, pp.34-35
・『週刊朝日 8月15日号増刊 甲子園大会号 第60回高校野球選手権』朝日新聞社, 1978年, p.63
・『アサヒグラフ 9月1日号 第60回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1978年, pp.126-127
・『週刊ベースボール 9月9日号増刊 第60回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1978年, pp.48-49, p.201
・『甲子園大会 1978 第60回全国高等学校野球選手権大会』ベースボール・マガジン社, 1978年, p.28
・『輝け甲子園の星 第60回全国高校野球選手権大会』日刊スポーツ出版社, 1978年, p.15
・『月刊・野球党9月号 第60回全国高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1978年, p.4
・・『週刊朝日 8月10日号増刊 甲子園大会号 第65回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1983年, pp.164-165
・『アサヒグラフ増刊 9月1日号 第65回全国高校野球選手権記念大会』朝日新聞社, 1983年, p.139
・『週刊ベースボール 9月10日号増刊 第65回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1983年, pp.55-56, p.195
・『輝け甲子園の星 1983 No.4 ★第65回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1983年, p.15
・『ホームラン '83甲子園大会 第65回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1983年, p.15, p.32
・『報知高校野球 '83選手権速報◉PL学園初優勝!』報知新聞社, 1983年, p.131
・『'83夏 甲子園の恋人たち ◯94人のエース&ヒーロー定期サイズ顔写真入り◯』学研, 1983年, p.63
・『月刊高校野球マガジン⑨ 第67回全国高校野球選手権大会総ガイド』ベースボール・マガジン社, 1985年, p.154
・『週刊朝日 8月15日号増刊 '85甲子園大会号』朝日新聞社, 1985年, pp.180-181
・『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '85甲子園の夏 第67回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1985年, p.136
・『週刊ベースボール 9月7日号増刊 第67回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1985年, pp.60-62, pp.56-57, p.193
・『輝け甲子園の星 1985 No.5 ★第67回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1985年, pp.16-17, p.115
・『ホームラン 甲子園大会1985 第67回全国高校野球選手権大会総集』日本スポーツ出版社, 1985年, p.12
・『報知高校野球 '85選手権速報◉優勝!PL学園』報知新聞社, 1985年, p.129
・『'85夏★甲子園の恋人たち★ヒーロー92人いい顔写真集⦅とじ込みポスターつき⦆』学研, 1985年, p.82
・『輝け甲子園の星 1985 No.6 アイドルスペシャル'85』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.42
・『スポニチ』元高知商監督・谷脇一夫氏 思い出す78年“逆転のPL”と明暗分けた初采配の差, 2018年,
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/08/13/kiji/20180813s00001002058000c.html(最終閲覧日:2020年12月28日)

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・ 1枚目:『PLグラフ No.7 第60回全国高校野球選手権大会 初優勝記念特別号』1978年, 芸術生活社, p.10
・ 2枚目:『月刊・野球党9月号 第60回全国高校野球選手権大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1978年, p.5
・ 3枚目:『報知高校野球 '83選手権速報◉PL学園初優勝!』報知新聞社, 1983年, p.54
・ 4枚目:『輝け甲子園の星 1983 No.4 ★第65回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1983年, p.15
・ 5枚目:『輝け甲子園の星 1985 No.6 アイドルスペシャル'85』日刊スポーツ出版社, 1985年, p.41
・ 6枚目:『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '85甲子園の夏 第67回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1985年, p.136
・ 7枚目:『毎日グラフ 4月25日号 球春謳歌 燃える甲子園』毎日新聞社, 1980年, p.11


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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様々な論議を呼ぶ「外人部隊」、「野球留学」の先駆けとなった学校とは?

オールドファンが忌み嫌う「外人部隊」。「外人部隊」とは、強豪校が地域外から優秀な選手を集めて強化した結果、地域外出身選手がチーム内で多数を占めるようになったことへの比喩・侮蔑表現である。現在では県外出身者がスタメンに名を連ねること自体は珍しいことではない。野球留学そのものは戦前からあり、戦後もPL学園や東海大相模など、全国から有望選手をスカウトしている学校はあったが、これらの学校は既に名門校として知られた学校に憧れて地方の選手が進学するというスタイルが主流だった。そのため、中心はあくまで地元の選手であり、その中に留学生が交じっているという選手構成だった。しかし、80年代に入ってからは参加校数の少ない都道府県や、無名の私立校にリトルリーグやボーイズリーグの盛んな関西から甲子園に出場することを目的として大量に留学するという新しい野球留学が始まった。

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(画像)オールドファンが忌み嫌う「外人部隊」。その是非について、現在でも様々な議論が交わされている。

その先駆けとなったのは江戸川学園取手である。1978年に創立と同時に野球部が創部。甲子園出場を目標に東京と静岡のポニーリーグから有望選手を100人スカウトし、部員120人の大所帯を築いた。同校がここまでして甲子園出場にこだわったのには理由があった。それは知名度アップが目的であり、今後は方針を転換して進学校化するというプランがあったからである。以下の画像をご覧いただきたい。彼らが最上級生となった頃にはベンチ入りメンバー15人のうち、14人が県外出身者(小平市=東京、伊東市=静岡)であり、地元の選手は背番号15の伊藤憲史だけだった。

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(画像)江戸川学園取手のベンチ入りメンバーの出身中学の所在地。地元選手は殆どおらず、大半が東京、静岡出身の選手である。

1979年秋の県大会では決勝で水戸商を5-0で下し、優勝を達成。関東大会では初戦で熊谷商に5-7で敗退したが、県大会4試合で2桁安打を放ち、チーム打率は.353。エース・島崎弘和(のち日立製作所)は内角のシュートが武器であり、控えの糟谷は横手投げで球質が重い。翌春の県大会では早々に敗退したが、夏の県大会では優勝候補筆頭と言われた。準決勝で太田一を2-0で下すと、決勝の下妻一戦では果敢な盗塁で相手投手を揺さぶり、9-0で快勝。大会前は打撃が売り物と言われていたが、島崎、糟谷の両投手の踏ん張りが光った。

甲子園出場を決めたが、当時は野球留学は受け入れ難い時代。マスコミからは「野球留学の外人部隊」などと非難され、週刊誌でも尋常ではない叩かれ方を受けた。さらに、地元市民からも冷ややかな目で見られ、全国からバッシングを受けた。それは「外人部隊」という理由だけでなく、知名度アップという売名行為もあったからかもしれない。初戦の相手は横浜に決まったが、江戸川学園取手アルプスには地元市民は殆どいなかった。

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(画像)甲子園出場を決めた江戸川学園取手だったが、地元市民からは冷ややかな目で見られ、週刊誌でも尋常ではない叩かれ方を受けた。

1回表、横浜は安西健二(のち巨人)の右前打、エース・愛甲猛(のちロッテ→中日)の中前打などで1死1、3塁のチャンスを作ると、続く片平保彦(のち関東学院大→大洋)が犠飛を放ち、1点を先制。江戸川学園取手が横浜に食い下がるためには前半を大事に戦わねばならなかったが、この1点が大きな重荷になった。横浜は以降も攻撃の手を緩めず、3回には愛甲の右前打などで2点を追加すると、6回にも宍倉の内野安打などで2点を追加。8回には無死満塁で深沢が中前打を放つと、宍倉の犠飛で3点を追加した。さらに、9回には片平の2塁打などでダメ押しともいえる1点を追加。大会前は体格、技術、素質は県内随一と言われた「エリート集団」だったが、愛甲の力強い直球、鋭いカーブには手も足も出なかった。わずか2安打に抑え込まれ、0-9で敗退。一度も3塁を踏むことなく、「エリート集団」は初戦で甲子園を去ることとなった。

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(画像)愛甲にわずか2安打に抑え込まれた「エリート集団」。一度も3塁を踏むことなく、甲子園を去っていった。

試合後、河村実義監督は「持ってる力の3分くらいしか発揮できなかったです。あれでは作戦も立てられません」と話した。島崎は「7月の練習試合より横浜はぐっと迫力があった。愛甲にヒットを打たれて調子付かせたのが失敗だった。力は出し尽くしました」と話した。ちなみに、この試合をスタンドから見つめていた関西茨城県人会の大畠副会長は「確かに寄せ集めに違いないが、何度か接してみて郷土の代表として恥ずかしくないチームと確信する。応援したい」と話していた。

「県外もの」と陰口を叩かれても選手たちはひたすら甲子園出場を目指し、猛練習に耐えてきた。河村監督もマスコミから「外人部隊」と非難されても、地元市民から冷ややかな目で見られても、その声を無視した。全国からバッシングを受け、悪役扱いされたことが選手にプレッシャーを掛けていたとしたら、それは気の毒である。彼らもまた、甲子園を目標に茨城で3年間努力し続けたことに変わりはないのだから。しかし、悪いことだけではなかった。夏の県大会では敗れたチームから千羽鶴が贈られ、地元・取手市でも1978年夏に優勝した取手二の時よりも大きな歓迎に迎えられた。3年間で初めての出来事だった。

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(画像)「野球留学」の先駆けとなった江戸川学園取手。マスコミからのバッシングにもめげず、猛練習に耐え続けた選手たちは立派だった。

それから40年後、江戸川学園取手は県内屈指の進学校へと変貌を遂げ、野球部の活躍は見られなくなった。甲子園に出場した学校がのちに進学校化し、甲子園から遠ざかっていくケースは珍しくないが、甲子園に初出場したことで目的を達成したとして強化を止めた学校は同校が最初で最後である。

☆今年最後の更新☆
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これからは1周年記事に集中しますので、年内の更新はこれで最後となります。次回の更新は来年の正月です。それまでしばらくお待ちください。少し早いですが、読者の皆様、本年は誠にありがとうございました。良いお年をお迎えください。

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・川戸浩(野球選手)

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・『高校野球100年史』森岡浩, 東京堂出版, 2015年, pp.290-291
・『週刊朝日 7月15日号増刊 地方大会号 第62回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1980年, p.68
・『週刊ベースボール 7月6日号増刊 第62回全国高校野球選手権大会予選展望号』ベースボール・マガジン社, 1980年, p.72
・『輝け甲子園の星 ★'80思い出特別号』日刊スポーツ出版社, 1980年, p.128
・『週刊朝日 8月10日号増刊 甲子園大会号 第62回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1980年, p.97
・『アサヒグラフ 9月5日号 第62回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1980年, p.76
・『週刊ベースボール 9月6日号増刊 第62回全国高校野球総決算号』ベースボール・マガジン社, 1980年, pp.77-78, p.172
・『輝け甲子園の星 ★第62回全国高校野球選手権』日刊スポーツ出版社, 1980年, p.110
・『ホームラン '80甲子園大会 第62回全国高校野球選手権大会速報』日本スポーツ出版社, 1980年, p.80
・『報知高校野球 速報◉'80選手権熱戦大特集』報知新聞社, 1980年, p.91
・『週刊ベースボール 7月6日号増刊 第73回全国高校野球選手権大会予選展望号』ベースボール・マガジン社, 1991年, pp.83-85
・『Wikipedia』外人部隊, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%BA%E9%83%A8%E9%9A%8A(最終閲覧日:2020年12月12日)
・『Pick up ファイル』●「平成の怪物」松坂大輔投手と江戸川区② ――わがまち再発見【江戸川区編】, 2020年, http://nekkyu.com/before/nekkyu-no-kioku/59senbatsu-taisei.html(最終閲覧日:2020年11月22日)
・『NEWSつくば』明秀日立が快挙 県南勢どう立ち向かうか注目, 2018年, https://newstsukuba.jp/5082/09/04/(最終閲覧日:2020年12月12日)
・『Number Web』甲子園に出るための「外人部隊」と呼ばれて。越境入学は是か非か。, 2018年, https://number.bunshun.jp/articles/-/831580(最終閲覧日:2020年12月12日)

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・ 1枚目:『YouTube』2018 第100回全国高等学校野球大会開会式 夏の甲子園, 2018年, https://www.youtube.com/watch?v=mQz4zAU9OeU
・ 2枚目:『アサヒグラフ 9月5日号 第62回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1980年, p.8
・ 3枚目:『アサヒグラフ 9月5日号 第62回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1980年, p.77
・ 4枚目:『アサヒグラフ 9月5日号 第62回全国高校野球選手権大会』朝日新聞社, 1980年, p.77
・ 5枚目:『報知高校野球 速報◉'80選手権熱戦大特集』報知新聞社, 1980年, p.24


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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選抜史上最少部員の10人で挑んだ甲子園、「十勇士」のさわやか野球

少人数の選抜といえば、「さわやかイレブン」「二十四の瞳」が有名だが、それよりも少ない部員数10人で甲子園に出場したチームがある。

大成(現・海南)野球部には部員が10人しかいなかった。しかも選び抜かれての10人ではない。ただ入っただけの部員である。海南市は秋の近畿大会により、次の年の新入部員数が大きく変化する。地元の少年野球チームにいる中学生たちは大成か海南への進学を目指し、秋に海南が強いと海南へ、大成が強いと大成へ進学する。一昨年の秋は海南が近畿大会に進出。中学生たちはこぞって海南に入部し、大成には一人も入部しなかった。大畠和彦監督は安易に頭を下げたくないと勧誘しなかったのが、新入部員0人の真相である。10人で新チームを結成した時、大畠監督はこう言った。

「お前らを甲子園に連れていくぞ。これからは甲子園に行くための練習をする。俺に付いてこい」

それからはボールを握らず、体力作りとランニングを繰り返す日々が続いた。大畠監督はマンツーマンで選手を鍛え上げ、選手たちにも「俺が守らなかったら誰が守る」という自覚が芽生えていった。しかし、10人では総合的な実戦練習や紅白試合ができない。そのため、県内の強豪校チームと練習試合を行い、実戦の勘を養った。

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(画像)大畠監督の厳しい練習で鍛え上げられた10人。練習を通し、選手たちは次第に強い絆で結ばれていった。

その効果が出たのは秋の県大会だった。準決勝で箕島を4x-3で下す大金星を挙げると、決勝でも日高を3-1で下し、近畿大会進出。初戦で明石に1-2xで敗退し、翌春の選抜出場は絶望的となったが、準優勝校に善戦したことが評価され、逆転で選抜出場校に選ばれた。エース・山本友広(のち近畿大)は本格派左腕。2年夏までは直球で押すピッチングだったが、夏の県大会ではカーブを多投。以降は技巧派に転向し、カーブを織り交ぜる投球で相手打者を手玉に取った。打っては4本塁打と投打にわたって活躍。吉田、奈須とともにクリーンアップも任されていた。

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(画像)2年夏の県大会から技巧派に転向した山本。175センチと小柄だったが、マウンド度胸は十分であり、打たせて取るピッチングに徹している。

選抜出場を決め、刻苦の物語と美談を求めてマスコミが殺到。大変な騒がれ方だった。そして迎えた選抜、一際短い入場行進が実現。初戦の相手は東海大甲府だった。エース・山本信幸(のち東海大→三菱自動車川崎→三菱自動車岡崎→三菱自動車川崎)は切れのある速球、カーブを内外角に投げ分け、スタミナも十分だった。打線も強力であり、久慈照嘉(のち日本石油→阪神→中日→阪神)をはじめ、石川、江花、山本信のクリーンアップの破壊力は抜群だった。関東大会では決勝で甲府工に2-4で敗退したが、エース・中込伸(のち阪神→兄弟エレファンツ)から10安打を放ち、全4試合で18得点。打のチームであり、優勝候補とも言われていた。

試合はワンサイドになるかと思われたが、先手を取ったのは大成だった。4回裏、清水が四球で出塁。続く吉田が犠打を決めると、奈須が右越え2塁打を放ち、1点を先制。6回には清水の左前打、奈須の2塁打などで2点を追加した。

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(画像)6回裏、2死1、2塁で2塁打を放った奈須(右)。その後も相手の失策などで1点を追加した。

2点のリードを奪い、甲子園球場に詰めかけた1万6千人の観衆は大声援を送った。その大声援を背に受け、山本友の投球はますます冴え渡る。緩いカーブで相手打者を打ち取り、7回まで東海大甲府打線を5安打1失点。8回に味方の失策などで1点を失ったが、まだ1点差あった。9回表、山本信の遊ゴロはセーフのタイミングかと思われたが、間一髪でアウトになった。先頭打者を打ち取り、関東大会準優勝チームを下す大金星まであと2人というところまで漕ぎ着けたが、山本友は勝利を意識しすぎたのか、肩に力が入った。岸田の右越え2塁打などで1死2、3塁のピンチを招くと、続く薄に犠飛を打たれ、3-3の同点。さらに、天川にも中前打を打たれ、勝ち越しを許してしまった。

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(画像)9回表、2死3塁で天川に中前打を打たれた山本友(中央)。1点を追加され、勝ち越しを許してしまった。

その裏、大成は2死から背番号10の阪上が打席に入った。試合前、大畠監督は「どんなことがあっても阪上を代打に送る」と話していた。レギュラー9人のうち、誰か一人でも病気や怪我をしたら試合を続けることはできない。没収試合を回避するための救世主の役割を担っていたのが阪上だったのだ。高校に入ってからの公式戦初打席。阪上は思い切りバットを振ったが、結果は三振。3-4で敗退となり、「10人の春」は終わりを告げた。

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(画像)9回裏、2死から阪上が打席に入ったが、結果は三振。3-4で敗退となり、「10人の春」は終わりを告げた。


(動画)YouTubeより。

試合後、大成ナインにはスタンドから勝者以上の拍手が沸き起こった。山本友は「今までやってきたことが全部出せました。ホームランも甲子園で打たれたのは嬉しい」と晴れやかな表情を浮かべながら話した。奈須は「10人というハンデは感じなかった。それよりも10人野球が注目されて嬉しかった。スタンドの拍手は僕たちに優しくて、楽しかった」と話した。敗退したとはいえ、大成は強豪校と互角に戦った。「10人の春」は終わったが、「10人でもこれだけのことができる」と「十勇士」は胸を張って甲子園を去っていった。

甲子園出場の効果は絶大だった。4月に大勢の入部希望者が詰めかけ、10人野球が一挙に35人の大所帯となった。人手不足も解消され、練習試合の申し込みも増加。清水は「部員が増えたのに『何も変わってへん』なんて言われたくない。一回りも二回りもたくましくなって、夏にまた来たい」と話した。春の県大会では山本が左膝の故障で試合を欠場。初戦で高野山に1-9で敗退したが、大畠監督はこう話した。

「マスコミなんかに多く取り上げられて、選手が調子に乗りすぎていました。これを良い薬にして、夏は一から出直しのつもりでやります」

6月の練習試合から山本が復帰。1年生の中岡も新チームのエースとして力を付けてきたが、夏の県大会では初戦で吉備(現・有田中央)に3-4で敗退。春夏連続甲子園出場はならなかった。

大成は2008年に海南と統合され、海南大成校舎となった。大成の成績は海南に引き継がれ、緑だけだった海南のストッキングには臙脂のラインが入っている。これは大成のイメージカラーとして受け継いだものであり、現在の野球部員も一部は大成校舎の生徒である。野球部の形は変わっても、「10人野球」の心は現在も後輩たちにしっかりと受け継がれている。

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(画像)部員数10人で選抜出場を果たした大成。野球部の形は変わっても、「10人野球」の心は現在も後輩たちにしっかりと受け継がれている。

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・山本信幸(野球選手)

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・『甲子園あるある 春のセンバツ編』上杉純也, オークラ出版, 2013年, p.126
・『スポーツ・スピリット21① 高校野球 熱闘の世紀』ベースボール・マガジン社, 2001年, pp.42-47
・『高校野球100年史』森岡浩, 東京堂出版, 2015年, pp.309-310
・『ホームラン 高校野球12+1月号 '87高校野球 '87センバツ出場校はここだ!』日本スポーツ出版社, 1987年, p.87
・『サンデー毎日臨時増刊 3月21日 第59回選抜高校野球大会号』毎日新聞社, 1987年, pp.137-138
・『別冊週刊ベースボール◉春季号 第59回選抜高校野球大会総ガイド』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.104, pp.166-167
・『月刊高校野球マガジン4 '87センバツ直前特集号』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.25
・『輝け甲子園の星 1987・2+3月号 ★第59回選抜高校野球大特集』日刊スポーツ出版社, 1987年, p.14, p.70
・『ホームラン 高校野球2+3月号 第59回センバツ大会展望号 ワイド特集 出場32チーム戦力徹底分析』日本スポーツ出版社, 1987年, p.84
・『報知高校野球 大特集◉'87センバツ出場校完全ガイド』報知新聞社, 1987年, pp.88-89
・『毎日グラフ 4月19・26日合併号 球春燃ゆ! 甲子園 総集編』毎日新聞社, 1987年, p.40
・『別冊週刊ベースボール陽春号 第59回選抜高校野球大会決算号』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.36, pp.131-133
・『輝け甲子園の星 1987・4+5月号 ★第59回センバツ高校野球大会』日刊スポーツ出版社, 1987年, p.34
・『ホームラン 高校野球 5月号 めざすは夏の甲子園! 夏の49地区代表校予想』日本スポーツ出版社, 1987年, p.32, pp.56-60, p.79
・『報知高校野球 '87センバツ速報◉PL学園3度目の優勝』報知新聞社, 1987年, pp.45-46, p.59
・『週刊ベースボール 7月4日号増刊 第69回全国高校野球選手権大会予選展望号』ベースボール・マガジン社, 1987年, pp.33-34, p.97
・『ホームラン 高校野球6+7月号 全国高校野球地区予選展望号』日本スポーツ出版社, 1987年, p.68
・『Yahoo!ニュース』センバツ中止「夏に気持ち切り替えて」半世紀の空白を解消して 和歌山海南, 2014年, https://news.yahoo.co.jp/byline/morimotoshigehiro/20140219-00032754/(最終閲覧日:2020年11月22日)
・『熱球の記憶』第59回センバツ出場校:大成高校, http://nekkyu.com/before/nekkyu-no-kioku/59senbatsu-taisei.html(最終閲覧日:2020年11月22日)

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・ 1枚目:『報知高校野球 大特集◉'87センバツ出場校完全ガイド』報知新聞社, 1987年, p.21
・ 2枚目:『YouTube』第59回センバツ高校野球大会 大成-東海大甲府, 2014年,
https://www.youtube.com/watch?v=TmcUDLrNbyE
・ 3枚目:『毎日グラフ 4月19・26日合併号 球春燃ゆ! 甲子園 総集編』毎日新聞社, 1987年, p.41
・ 4枚目:『報知高校野球 '87センバツ速報◉PL学園3度目の優勝』報知新聞社, 1987年, p.27
・ 5枚目:『YouTube』第59回センバツ高校野球大会 大成-東海大甲府, 2014年,
https://www.youtube.com/watch?v=TmcUDLrNbyE
・ 6枚目:『別冊週刊ベースボール陽春号 第59回選抜高校野球大会決算号』ベースボール・マガジン社, 1987年, p.89


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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甲子園で与えられた試練、左翼フェンス下に右手を挟まれた珍事件

1998年夏、高校野球史上初の珍事件が起きた。

日大東北は福島大会史上初の3連覇を達成した。昨年夏の県大会決勝の再現となった学法石川戦は7回までに3得点を挙げたが、8回に1点差に詰め寄られ、さらに2死満塁のピンチ。打者の打球が高く上がり、中前に落ちる逆転打かと思われたが、佐藤がダイビングキャッチで好捕。グラブの網の先にボールが入り、事実上の勝利が決まった。エース・有馬哲也(のち郡山水産)はカーブが武器であり、40イニングを投げ、5失点。「甲子園ではどんな相手が来ても構わない」という精神力の強さも身に付けた。

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(画像)カーブが武器だった有馬。チームの福島大会史上初の3連覇に大きく貢献した。

初戦の相手は宇部商だった。エース・藤田修平(のち福岡大→彦島製錬)は抜群の制球力で打たせて取るピッチングに徹している。2回戦の宇部戦では投手陣が打ち込まれたが、9-6で勝利。3回戦の岩国商戦では先発全員安打の14安打で勝利を収めると、準々決勝の岩国工戦では県内屈指の速球派投手から序盤に3点を奪った。準決勝は3試合連続無失点の南陽工が相手だったが、4-2で勝利。決勝で下関中央工(現・下関工科)を6-4で下し、甲子園への切符を掴んだ。

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(画像)打たせて取るピッチング持ち味の藤田(左から2人目)。抜群の制球力で県大会を勝ち抜いた。

4回表、日大東北は2死2塁で宗形が左前打を放ち、1点を先制。その裏、宇部商は梶矢が中前打で出塁すると、清水が中越え2塁打を放ち、逆転に成功した。5回表、日大東北は佐藤、槻田の連続安打などで2-2の同点に追い付いたが、その裏に宇部商は1死満塁で梶矢が犠飛を放ち、1点を追加すると、続く嶋村一輝(のち九州国際大→オリックス→横浜)も2塁打を放ち、1点を追加した。

そして迎えた6回裏、ついに高校野球史上初の珍事件が起きる。宇部商は打席に入ったのは先頭の清水。清水の捉えた打球は左翼方向に伸びていき、渡辺功之(のち亜細亜大)は懸命に打球の行方を追ったが、勢い余ってフェンスに激突。清水は全力疾走したが、2塁を回ったところで渡辺が動かないことに気付いた。

「どうしてレフトが動かないんだろう。何かがおかしい」

渡辺はフェンス下に取り付けられたブリキ板と地面とのわずか1.5センチの隙間に右手を挟まれていた。グラブをばたつかせ、体を2、3度ねじってもがいたが、起き上がることができない。その間に清水はダイヤモンドを1周。ランニング本塁打となったが、観客の視線は渡辺に注がれていた。

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(画像)フェンス下に取り付けられたブリキ板と地面とのわずか1.5センチの隙間に右手が挟まっている。

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(画像)渡辺はグラブをばたつかせ、体を2、3度ねじってもがいたが、起き上がることができなかった。

「ストップ、ストップ!!」

渡辺は試合を止めようと必死に叫んだが、その声は届かず、宇部商側のスコアボードには「1点」が刻まれた。他の野手がバックアップに来ており、プレー進行中と判断されたからである。奥村、3塁塁審が駆け付け、救出作業が始まった。渡辺の右手に石鹸水を付け、バールやドライバーでフェンスを少しずつこじ開けていく。右手が抜けたのは10分後だった。渡辺は「大丈夫です。出られます」と言ったが、大事を取って交代。日大東北にとっては不幸なアクシデントだった。

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(画像)10分後に救出された渡辺(右)。右手に包帯を巻き、無念の退場となってしまった。

渡辺は軽傷で大事には至らなかったが、チームは2-5で敗退。試合後、渡辺は「手が抜けた後はプレーするつもりだったのに…。でも、甲子園は恐ろしいところです」と話した。大会本部は球場側に「善後策を講じて欲しい」と申し入れ、両翼にガムテープを貼る応急工事を行った。その後はフェンスと地面の隙間が出ないように全面改修され、同様の事故はもう2度と起こらない。渡辺は長い甲子園の歴史の中でただ一人、貴重な経験をした選手となった。


(動画)YouTubeより。

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・藤田修平(野球選手)

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・『熱闘甲子園 Magazine 熱闘甲子園が見た「伝説の試合」9』文藝春秋, 2018年, pp.62-63
・『スポーツ・スピリット21⑥ 高校野球 熱闘の世紀Ⅱ 4大ロング・インタビュー◎江川 卓/池永 正明/原 辰徳/荒木大輔』ベースボール・マガジン社, 2002年, pp.80-81
・『思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿』久保田龍雄, 日刊スポーツ出版社, 2014年, pp.160-161
・『スポーツ・スピリット No.31 高校野球「事件史」いま、あの場面、この光景が鮮烈に甦る 高校野球の歴史を変えた重大事件の記憶』ベースボール・マガジン社, 2007年, pp.62-63
・『夏の甲子園トリビア ~47都道府県別対抗~』ダイアプレス, 2013年, p.24
・『20世紀<春&夏の高校野球>完全版 まるわかり甲子園全記録』森岡浩, 新潮社, 2001年, pp.116-117
・『週刊朝日 8月12日号増刊 '98甲子園大会号』朝日新聞社, 1998年, pp.28-29, pp.170-171
・『アサヒグラフ増刊 9月1日号 98甲子園の夏 第80回全国高校野球選手権記念大会完全記録』朝日新聞社, 1998年, pp.62-63
・『週刊ベースボール 9月5日号増刊 第80回全国高校野球選手権記念大会総決算号』ベースボール・マガジン社, 1998年, p.79, p.207
・『輝け甲子園の星 '98大会号』日刊スポーツ出版社, 1998年, p.31
・『報知高校野球 [80回記念大会]横浜が春夏連覇!!松坂ノーヒットノーラン』報知新聞社, 1998年, p.29
・『日刊スポーツ』第3回 前代未聞の珍事、腕が抜けぬ, 2008年,
http://www5.nikkansports.com/baseball/highschool/sensyuken/2008/matsuzaka10/revival/20080730_64441.html(最終閲覧日:2020年10月21日)
・『アサ芸プラス』夏の甲子園でレフトフェンスに右手が挟まって抜けなくなった珍事件, 2017年,
https://www.asagei.com/excerpt/86980(最終閲覧日:2020年10月21日)
・『zakzak』【高校野球100年 発掘・事件史】プレー中に「手が抜けない」 憧れの舞台で与えられた試練, 2015年,
https://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20151128/bbl1511281530006-n1.htm(最終閲覧日:2020年10月21日)

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・ 1枚目:『YouTube』[プロ 野球 ハイライト] 1998熱闘甲子園 宇部商VS日大東北, 2017年,
https://www.youtube.com/watch?v=VUlFCQDuXZM
・ 2枚目:『アサヒグラフ増刊 9月1日号 98甲子園の夏 第80回全国高校野球選手権記念大会完全記録』朝日新聞社, 1998年, p.108
・ 3枚目:『YouTube』[プロ 野球 ハイライト] 1998熱闘甲子園 宇部商VS日大東北, 2017年,
https://www.youtube.com/watch?v=VUlFCQDuXZM
・ 4枚目:『YouTube』[プロ 野球 ハイライト] 1998熱闘甲子園 宇部商VS日大東北, 2017年,
https://www.youtube.com/watch?v=VUlFCQDuXZM
・ 5枚目:『YouTube』[プロ 野球 ハイライト] 1998熱闘甲子園 宇部商VS日大東北, 2017年,
https://www.youtube.com/watch?v=VUlFCQDuXZM


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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戦国武将もビックリ!?、甲子園に出場した珍しい名字・名前の選手たち

北陽(現・関大北陽)の太田平八郎忠相(おおた・へいはちろうただすけ)はコンピュータにも名前が入り切らないほど、長い名前を持つ選手である。歴史好きの父が名付けたものであり、平八郎は「東郷平八郎」「本多平八郎」「大塩平八郎」、忠相は「大岡越前守忠相」から取っている。2回戦の玉野光南戦ではエース・寺前正雄(のち近鉄→阪神)の犠飛でリードを広げた直後に代打として登場。遊飛に打ち取られたが、甲子園の打席に立つことができたことに加え、4コマ漫画に登場したのも、忘れられない思い出となった。ちなみに、兄の孔子郎信忠(こうしろうのぶただ)も1988年春に背番号13でベンチ入り。初戦の東邦戦では代打で登場し、エース・山田喜久夫(のち中日→広島)から中前打を放っている。

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(画像)コンピュータにも名前が入り切らないほど、長い名前を持つ太田。その後、甲子園に5文字の名前の球児は登場していない。

中越のエース・穐谷(あきや)正人(のち東芝→ニチエー)は重い速球、大きく縦に割れるカーブ、スライダーが武器であり、県大会では31イニングを投げ、奪った三振は33。初戦で坂出商を2-1で下すと、2回戦の浦和学院戦では、試合前に蕁麻疹で救急病院に運び込まれるアクシデントに見舞われたが、浦和学院打線をわずか2安打に抑え込むと、打っては9回にサヨナラ中前打を放つなど、投打にわたって活躍。3回戦で長崎北陽台に2-3で敗退したが、チーム初の一大会で2勝を挙げ、県勢10年ぶりのベスト16入りを果たした。穐谷という名字は全国に80人しかおらず、主に千葉県に見られる。

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(画像)重い速球、大きく割れるカーブで相手打者を手玉に取った穐谷。チーム初の一大会で2勝を挙げ、県勢10年ぶりのベスト16入りを果たした。

岡山南のエース・加百(かど)勝吾(のち川崎製鉄水島)は2年秋の中国大会初戦で敗退し、翌春の選抜に出場できる可能性は低かったが、優勝した尾道商に善戦したことが評価され、逆転で選抜出場校に選ばれた。初戦の東邦戦では右打者の膝元にくるシュート、外角低めにカーブが決まり、相手打者を手玉に取った。味方打線も坊西浩嗣(のち三菱重工三原→ダイエー→鳥取キタロウズ)の2点本塁打などで10安打6得点を挙げ、6-3で勝利。その後も秋田、上宮を連破し、ベスト4入りを果たした。加百という名字は全国に70人しかおらず、主に岡山県、埼玉県、千葉県に見られる。

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(画像)ベスト4入りの立役者となった加百。中国大会では初戦敗退だったが、下馬評を次々と覆しての快進撃は立派だった。

▼選手詳細


広陵のエース・小土居(こどい)昭宏(のち立正大)は本格派右腕であった。決して大柄ではないが、直球には伸びがあり、低めのコントロールも抜群だった。初戦の三田学園戦では9回を投げ、3失点だったが、再試合では塩崎貴史(のち東洋大→日本石油)の好投もあり、8-2で勝利。2回戦の春日部共栄戦では塩崎との継投策がはまり、4-2で勝利を収めると、続く準々決勝、準決勝を投げ抜き、決勝の松商学園戦では8回からの登板となった。8回、9回を無失点で切り抜けると、その裏、2死1、2塁で下松が右前打を放ち、6x-5で優勝を達成。小土居は一緒にマウンドを守ってきた塩崎と抱き合って喜びを分かち合った。小土居という名字は全国に10人しかおらず、主に広島県に見られる。

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(画像)塩崎と一緒にマウンドを守ってきた小土居(左)。決勝で松商学園を6x-5で下し、優勝投手となった。

そして、某有名掲示板で最も名前が挙がっていたのが、愛工大名電の捕手・雲宝(うんぽう)正善(のち日産自動車)である。パワーと確実性を備えており、県大会では4割超えの打率を記録した。初戦の高知商戦ではエース・岡幸俊(のちヤクルト)から勝ち越しの2塁打を放ち、3-2で勝利。3回戦で沖縄水産に1-4で敗退したが、9回にチャンスで左前打を放つなど、抜群の打撃センスを見せた。雲宝という名字は全国に20人しかおらず、主に愛知県、茨城県、滋賀県に見られる。

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(画像)パワーと確実性を備えており、夏の県大会では4割超えの打率を記録した雲宝。甲子園でも抜群の打撃センスを見せた。

自身の名字と校名が同じケースも存在する。市銚子のエース・銚子(ちょうし)利夫(のち法政大→大洋→広島)がその最たる例であろう。自身の名字と校名が同じことから、「銚子高校の銚子君」と呼ばれた。初戦の相手は高知だったが、4回にエース・中平克弘(のち大倉工→プリンスホテル)の2塁打、自らの暴投などで2点を失うと、6回には中平の打球がワンバウンドし、銚子の左顎に直撃。銚子は一度起き上がりかけたが、再びマウンドに倒れ込んだ。検査の結果、左口角部裂傷で全治5日間。チームも3-7で敗退し、銚子は再び甲子園のマウンドに立つことはできなかった。銚子という名字は全国に40人しかおらず、主に千葉県に見られる。

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(画像)左顎に打球を受け、マウンド上にうずくまる銚子。左口角部裂傷で全治5日間の怪我を負った。

☆その他珍しい名字☆
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・向峯(むかいみね)斉(旭川龍谷・100人)
・反頭(たんどう)一臣(九州学院・90人)
◎嘉勢(かせ)敏弘(北陽・60人)
・古毛堂(こもどう)剛(尾道商・50人)
・四間丁(しけんちょう)真人(新湊・50人)
◎坊西(ぼうにし)浩嗣(岡山南・40人)
◎湯上谷(ゆがみだに)宏(星稜・40人)
・鍛治舎(かじしゃ)巧(県岐阜商・30人)
・境蓮(きょうれん)勝(新湊・20人)
◎木樽(きたる)正明(銚子商・20人)
・俣瀬(またせ)直樹(鹿児島実・20人)
◎諸積(もろづみ)兼司(学法石川・10人)

など。

◎はプロ入り選手

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・穐谷正人(野球選手)
・小土居昭宏(野球選手)
・塩崎貴史(野球選手)

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・『思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿』久保田龍雄, 日刊スポーツ出版社, 2014年, pp.26-27
・『平成甲子園 センバツ高校野球B級ニュース事件簿』久保田龍雄, 日刊スポーツ出版社, 2015年, p.32
・『輝け甲子園の星 1990・3+4月号 ★第62回センバツ大会観戦ガイド』日刊スポーツ出版社, 1990年, p.75
・『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '94甲子園の夏 第76回全国高校野球選手権大会完全記録』朝日新聞社, 1994年, p.101
・『報知高校野球 '94選手権速報・佐賀商が劇的初優勝』報知新聞社, 1994年, p.20, p.86
・『ホームラン '86センバツ 第58回センバツ高校野球大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1986年, p.23, p.85
・『輝け甲子園の星 1991・5+6月号 ★第63回センバツ高校野球大会速報&OB球児情報』日刊スポーツ出版社, 1991年, p.10
・『報知高校野球 特集・'91センバツ出場校を大胆指名!』報知新聞社, 1991年, p.74
・『週刊朝日 8月15日号増刊 '88甲子園大会号』朝日新聞社, 1988年, pp.66-67
・『'88夏・甲子園の恋人たち 第70回全国高校野球記念大会ヒーロー・ビッグ写真集』学研, 1988年, p.61

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・ 1枚目:『輝け甲子園の星 1990・3+4月号 ★第62回センバツ大会観戦ガイド』日刊スポーツ出版社, 1990年, p.75
・ 2枚目:『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '94甲子園の夏 第76回全国高校野球選手権大会完全記録』朝日新聞社, 1994年, p.101
・ 3枚目:『ゼロワン 高校野球』毎日新聞社, 1986年, p.133
・ 4枚目:『報知高校野球 特集・'91センバツ速報・広陵サヨナラ優勝』報知新聞社, 1991年, p.8
・ 5枚目:『輝け甲子園の星特別編集 アイドルスペシャル'88』日刊スポーツ出版社, 1988年, p.88
・ 6枚目:『YouTube』1979高校野球選手権1回戦 高知 vs 市立銚子, 2020年,
https://www.youtube.com/watch?v=R2nNh1azN2k
・ 7枚目:『完全保存版 夏の甲子園100回 47都道府県別 故郷のヒーロー』朝日新聞社, 2018年, p.53


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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12月の振り返り
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月間UU:4693(前月比+799)
月間PV:10984(前月比+2053)
1日あたりの最多UU:208(12月10日)
1日あたりの最多PV:485(12月15日)

11月に比べ、PV数・UU数ともに大幅に増加。それと同時に月間PV数・UU数ともに最多記録を更新しました。3桁PV獲得は14記事でした。

1坂本昇(232)
2浜名翔・前(190)
3復活が待たれる⑥(177)
4浜名翔・後(173)
5渡辺隆文(172)
6復活が待たれる⑤(154)
7富士 VS 高知(147)
8復活が待たれる⑧(129)
9箕島名勝負7選(110)
10池本和彦(109)
11中原耕造(105)
12復活が待たれる③(103)
13江戸川学園取手(103)
14崇徳 VS 長崎海星(100)

富士 VS 高知は青い鳥効果です。

▼惜しい組
東裕司(99)、秋吉章史(99)、復活が待たれる④(97)、野球選手スペシャル北信越編①(95)、金野正志(92)

東裕司はGAORA効果です。
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‡Azure‡

京都府在住。女性。25歳。高校野球ファン歴は14年。これまで購入した高校野球本は数百冊。年間数十万円を高校野球に注ぎ込むほどのオタクです。他の趣味としては、美少女ゲームソング・天体観測・都市伝説・特撮など。「高校野球No.1ブログ=20世紀の高校野球」と言っていただけることを夢見て日々運営中です。

画像は『週刊朝日 7月20日号増刊 地方大会号 第63回全国高校野球選手権』朝日新聞社, 1981年, p.162より

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名前:二十 球子(はた・たまこ)

当ブログのイメージキャラクターが完成しました。提供はももいろね様です。素敵なイラストありがとうございます。
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