北陽(現・関大北陽)の太田平八郎忠相(おおた・へいはちろうただすけ)はコンピュータにも名前が入り切らないほど、長い名前を持つ選手である。歴史好きの父が名付けたものであり、平八郎は「東郷平八郎」「本多平八郎」「大塩平八郎」、忠相は「大岡越前守忠相」から取っている。2回戦の玉野光南戦ではエース・寺前正雄(のち近鉄→阪神)の犠飛でリードを広げた直後に代打として登場。遊飛に打ち取られたが、甲子園の打席に立つことができたことに加え、4コマ漫画に登場したのも、忘れられない思い出となった。ちなみに、兄の孔子郎信忠(こうしろうのぶただ)も1988年春に背番号13でベンチ入り。初戦の東邦戦では代打で登場し、エース・山田喜久夫(のち中日→広島)から中前打を放っている。

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(画像)コンピュータにも名前が入り切らないほど、長い名前を持つ太田。その後、甲子園に5文字の名前の球児は登場していない。

中越のエース・穐谷(あきや)正人(のち東芝→ニチエー)は重い速球、大きく縦に割れるカーブ、スライダーが武器であり、県大会では31イニングを投げ、奪った三振は33。初戦で坂出商を2-1で下すと、2回戦の浦和学院戦では、試合前に蕁麻疹で救急病院に運び込まれるアクシデントに見舞われたが、浦和学院打線をわずか2安打に抑え込むと、打っては9回にサヨナラ中前打を放つなど、投打にわたって活躍。3回戦で長崎北陽台に2-3で敗退したが、チーム初の一大会で2勝を挙げ、県勢10年ぶりのベスト16入りを果たした。穐谷という名字は全国に80人しかおらず、主に千葉県に見られる。

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(画像)重い速球、大きく割れるカーブで相手打者を手玉に取った穐谷。チーム初の一大会で2勝を挙げ、県勢10年ぶりのベスト16入りを果たした。

岡山南のエース・加百(かど)勝吾(のち川崎製鉄水島)は2年秋の中国大会初戦で敗退し、翌春の選抜に出場できる可能性は低かったが、優勝した尾道商に善戦したことが評価され、逆転で選抜出場校に選ばれた。初戦の東邦戦では右打者の膝元にくるシュート、外角低めにカーブが決まり、相手打者を手玉に取った。味方打線も坊西浩嗣(のち三菱重工三原→ダイエー→鳥取キタロウズ)の2点本塁打などで10安打6得点を挙げ、6-3で勝利。その後も秋田、上宮を連破し、ベスト4入りを果たした。加百という名字は全国に70人しかおらず、主に岡山県、埼玉県、千葉県に見られる。

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(画像)ベスト4入りの立役者となった加百。中国大会では初戦敗退だったが、下馬評を次々と覆しての快進撃は立派だった。

▼選手詳細


広陵のエース・小土居(こどい)昭宏(のち立正大)は本格派右腕であった。決して大柄ではないが、直球には伸びがあり、低めのコントロールも抜群だった。初戦の三田学園戦では9回を投げ、3失点だったが、再試合では塩崎貴史(のち東洋大→日本石油)の好投もあり、8-2で勝利。2回戦の春日部共栄戦では塩崎との継投策がはまり、4-2で勝利を収めると、続く準々決勝、準決勝を投げ抜き、決勝の松商学園戦では8回からの登板となった。8回、9回を無失点で切り抜けると、その裏、2死1、2塁で下松が右前打を放ち、6x-5で優勝を達成。小土居は一緒にマウンドを守ってきた塩崎と抱き合って喜びを分かち合った。小土居という名字は全国に10人しかおらず、主に広島県に見られる。

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(画像)塩崎と一緒にマウンドを守ってきた小土居(左)。決勝で松商学園を6x-5で下し、優勝投手となった。

そして、某有名掲示板で最も名前が挙がっていたのが、愛工大名電の捕手・雲宝(うんぽう)正善(のち日産自動車)である。パワーと確実性を備えており、県大会では4割超えの打率を記録した。初戦の高知商戦ではエース・岡幸俊(のちヤクルト)から勝ち越しの2塁打を放ち、3-2で勝利。3回戦で沖縄水産に1-4で敗退したが、9回にチャンスで左前打を放つなど、抜群の打撃センスを見せた。雲宝という名字は全国に20人しかおらず、主に愛知県、茨城県、滋賀県に見られる。

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(画像)パワーと確実性を備えており、夏の県大会では4割超えの打率を記録した雲宝。甲子園でも抜群の打撃センスを見せた。

自身の名字と校名が同じケースも存在する。市銚子のエース・銚子(ちょうし)利夫(のち法政大→大洋→広島)がその最たる例であろう。自身の名字と校名が同じことから、「銚子高校の銚子君」と呼ばれた。初戦の相手は高知だったが、4回にエース・中平克弘(のち大倉工→プリンスホテル)の2塁打、自らの暴投などで2点を失うと、6回には中平の打球がワンバウンドし、銚子の左顎に直撃。銚子は一度起き上がりかけたが、再びマウンドに倒れ込んだ。検査の結果、左口角部裂傷で全治5日間。チームも3-7で敗退し、銚子は再び甲子園のマウンドに立つことはできなかった。銚子という名字は全国に40人しかおらず、主に千葉県に見られる。

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(画像)左顎に打球を受け、マウンド上にうずくまる銚子。左口角部裂傷で全治5日間の怪我を負った。

☆その他珍しい名字☆
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・向峯(むかいみね)斉(旭川龍谷・100人)
・反頭(たんどう)一臣(九州学院・90人)
◎嘉勢(かせ)敏弘(北陽・60人)
・古毛堂(こもどう)剛(尾道商・50人)
・四間丁(しけんちょう)真人(新湊・50人)
◎坊西(ぼうにし)浩嗣(岡山南・40人)
◎湯上谷(ゆがみだに)宏(星稜・40人)
・鍛治舎(かじしゃ)巧(県岐阜商・30人)
・境蓮(きょうれん)勝(新湊・20人)
◎木樽(きたる)正明(銚子商・20人)
・俣瀬(またせ)直樹(鹿児島実・20人)
◎諸積(もろづみ)兼司(学法石川・10人)

など。

◎はプロ入り選手

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・穐谷正人(野球選手)
・小土居昭宏(野球選手)
・塩崎貴史(野球選手)

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・『思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿』久保田龍雄, 日刊スポーツ出版社, 2014年, pp.26-27
・『平成甲子園 センバツ高校野球B級ニュース事件簿』久保田龍雄, 日刊スポーツ出版社, 2015年, p.32
・『輝け甲子園の星 1990・3+4月号 ★第62回センバツ大会観戦ガイド』日刊スポーツ出版社, 1990年, p.75
・『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '94甲子園の夏 第76回全国高校野球選手権大会完全記録』朝日新聞社, 1994年, p.101
・『報知高校野球 '94選手権速報・佐賀商が劇的初優勝』報知新聞社, 1994年, p.20, p.86
・『ホームラン '86センバツ 第58回センバツ高校野球大会総決算号』日本スポーツ出版社, 1986年, p.23, p.85
・『輝け甲子園の星 1991・5+6月号 ★第63回センバツ高校野球大会速報&OB球児情報』日刊スポーツ出版社, 1991年, p.10
・『報知高校野球 特集・'91センバツ出場校を大胆指名!』報知新聞社, 1991年, p.74
・『週刊朝日 8月15日号増刊 '88甲子園大会号』朝日新聞社, 1988年, pp.66-67
・『'88夏・甲子園の恋人たち 第70回全国高校野球記念大会ヒーロー・ビッグ写真集』学研, 1988年, p.61

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・ 1枚目:『輝け甲子園の星 1990・3+4月号 ★第62回センバツ大会観戦ガイド』日刊スポーツ出版社, 1990年, p.75
・ 2枚目:『アサヒグラフ増刊 9月5日号 '94甲子園の夏 第76回全国高校野球選手権大会完全記録』朝日新聞社, 1994年, p.101
・ 3枚目:『ゼロワン 高校野球』毎日新聞社, 1986年, p.133
・ 4枚目:『報知高校野球 特集・'91センバツ速報・広陵サヨナラ優勝』報知新聞社, 1991年, p.8
・ 5枚目:『輝け甲子園の星特別編集 アイドルスペシャル'88』日刊スポーツ出版社, 1988年, p.88
・ 6枚目:『YouTube』1979高校野球選手権1回戦 高知 vs 市立銚子, 2020年,
https://www.youtube.com/watch?v=R2nNh1azN2k
・ 7枚目:『完全保存版 夏の甲子園100回 47都道府県別 故郷のヒーロー』朝日新聞社, 2018年, p.53


最後まで目を通して頂きありがとうございました。

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